関東実業団・関東大学オールスターゲームを取材し、2人の元日本代表を発見。2009年よりU16アジア選手権として新たなカテゴリーが誕生した。栄えある第1回目のU16日本代表メンバーに名を連ねた選手が、大学卒業後も元気にバスケを続けていたことがうれしく、思わず声をかけてしまった次第である。国内トップリーグであれば、その勇姿を追いかけやすい。だが、それ以外となるとなかなかその後を知ることは難しい。偶然にも、その姿を発見した黒田電気の田野司選手と三井住友海上の根岸夢選手を前後編にわたってご紹介したい。
日本一メンバーたちがBリーグで活躍する姿が刺激になる
誕生日が4月1日の早生まれだったことで、当時北陸高校2年生だった田野選手は初めての男子U16日本代表に選出。結果はアジア6位だったが、田野選手はほとんどの試合を先発で起用された。
北陸高校での3年次にはウインターカップを制し、日本一になったので覚えてる方も多いことだろう。野本建吾選手(川崎ブレイブサンダース)、藤永佳昭選手(名古屋ダイヤモンドドルフィンズ)、坂東拓選手(京都ハンナリーズ)、後輩の満田丈太郎選手(横浜ビー・コルセアーズ)を含め、仲間たちは今、B1で活躍している。
「川崎戦は見に行ってます。負けちゃったけど、昨年のファイナルも観に行きました。野本ががんばっている姿を見ると刺激になります」
黒田電気からもほど近い川崎の野本選手だけではなく、藤永選手や坂東選手ともコンスタントに連絡を取り合っているそうだ。
高校時代に続き、筑波大学でも日本一になった坂東選手は卒業後、三井住友銀行に就職。田野選手同様に関東実業団リーグでプレーしていた。しかし昨シーズン途中となる2017年1月18日、脱サラした坂東選手はB2香川ファイブアローズと契約。そして今シーズンは、B1の京都に移籍を果たし、あっという間にキャリアアップに成功している。「アイツは変わってるんでね(笑)」と同じ道には興味を示さなかったが、「京都に行く前にも電話がありました。今でも良い関係です」と仲間たちを温かく見守っていた。
盛り上がりを見せるBリーグに対し、田野選手は率直な意見を述べている。
「だいぶ盛り上がってるなとは思います。日本人のレベルがもう少し上がれば、もっと良くなると思います。やっぱり外国籍選手に頼ってしまっている部分がまだ見えてしまいます。もちろん日本人のレベルも上がっているとは思いますが、アメリカに行ってる選手たちがいるので、彼らがもし日本に帰ってくればさらに盛り上がるのではないかなと思います」
日本人選手の活躍に対する期待はひとりのファンの意見だけではなく、仲間たちのさらなる活躍にエールを送っていると受け止めることもできる。
FIBAに制裁を科された2015年、先が見えない中での選択肢
田野選手が黒田電気に入社したのは2015年。当時のバスケ界は2つのリーグがあったにも関わらず、それによってFIBAから資格停止処分の制裁を受け、先が見えない状況だった。
「行こうと思えば、行けるプロチームもあったとは思います。でも、先々を考えてしまう方なので、あの頃はプロ選手になってもたぶん先は長くないと思わざるを得なく、企業チームでの就職を選択しました」
当時の状況を考えれば無理もない選択であり、賢明な決断だった。黒田電気ブリット・スピリッツは2013-14シーズンまでNBLの下部リーグであるNBDLに属していた。だが、田野選手が入団する前年よりアースフレンズ東京Zにその権利を譲渡し、関東実業団リーグへ転籍。それを理解した上で入社を決めた。
「もともとNBDLでやっていたこともあり、しっかりチームスポーツとして会社も考えてくれています。ジムなどの施設も整っているので、環境面は良い方だと思います。その分、いくら仕事が忙しくても、練習に参加しないと怒られてしまいます」
今も変わらず会社からの手厚いサポートを受け、週3回みっちり練習も行われている。NBDLやそれ以前のJBL2のときでもなかなか出場できなかった天皇杯に、社会人2位となって2016年に出場している。しかも、1回戦で青山学院大学を破り、勝利を挙げた。
田野選手にとって、青山学院大学は深い因縁がある。
北陸高校卒業後、関東の大学ではなく関西の雄、同志社大学に進学。「関東との差を埋めたかった」というチャレンジャー精神が志望動機。4年間、インカレに出場し続けたが、2年次を除く3回とも青山学院大学の前に1回戦で敗れていた。2年次の拓殖大学にも敗れており、関東勢を破る目標を果たせなかったことが「一番悔しい」。しかし黒田電気に入って1年目、天皇杯の大舞台でついに勝つことができた。チームは違えど、継続は力なりである。
今年の関東実業団・関東大学オールスターゲームの関東大学選抜を率いていたのは、青山学院大学の廣瀬昌也ヘッドコーチ。ここでも因縁が!?
「確かに燃える部分はありましたけど(笑)、楽しむことを一番の目的としてプレーはしていました」と奇遇な巡り合わせに大笑いしていた。
生涯現役でがんばります!
高校日本一になり、同志社大学から関東勢を破る目標を持って突っ走ってきた田野選手。バスケ界がドン底だったときに進路を決めなければならなかったが、「バスケでお金をもらえているわけではないですが、バスケをするにはお金がかからないので会社には感謝しています」と今の環境を謳歌している。
「やっぱりバスケが大好きなんでしょうね。切っても切れないんじゃないかと思いますし、いつまで続けたら良いのかなって思います」
実業団の場合、年配の方がプレーする姿を見かけることも珍しくはない。「本当に自分次第だと思います」と言うように、引き際は分からない。将来的なバスケットの関わりを伺えば「指導者は無理」と即答。つまるところは「生涯現役でがんばります!」
田野選手は黒田電気もさることながら、KIDROCの一員としてSOMECITYでもプレーしているようだ。高校時代は細い眉毛だったヤンチャ坊主は、社会人として立派になった姿を見せてくれた。一方で、変わらずにコート上ではヤンチャにバスケを楽しんでいたことがうれしかった。
■第1回男子U16日本代表メンバー
4 藤井 祐希(明成高校/立教大学)
5 上原 大輝(興南高校/日本大学〜横河電機)
6 橋本 晃佑(宇都宮工業高校/東海大学〜栃木ブレックス)
7 荒谷 優斗(洛南高校/同志社大学〜黒田電気)
8 晴山 ケビン(盛岡市立高校/東海大学〜川崎ブレイブサンダース→京都ハンナリーズ)
9 田野 司(北陸高校/同志社大学〜黒田電気)
10 田渡 凌(京北高校/ドミニカン大学カリフォルニア校〜横浜ビー・コルセアーズ)
11 田中 光(福岡第一高校/青山学院大学〜横河電機)
12 小松 雅輝(福岡第一高校/筑波大学)
13 上山 泰史(戸畑高校)
14 山本 純平(福岡第一高校/早稲田大学〜横河電機)
15 宍倉 光(幕張総合高校/中央大学〜千葉ジェッツネクスト)
※()内は当時の所属高校と分かる範囲でのその後の所属チーム
後編「根岸夢選手」に続く。
文・写真 泉 誠一