全ての行動には意味があるという馬場は、2年前の「悔しい思いがなかったら今の自分はない」と言及する。失敗も成功体験も全てを糧とし、亥年生まれの馬場らしく前へ前へと猪突猛進で突っ走ってきた。その経験は自らを成長させただけではなく、その姿を見ていたテキサスのスタッフ陣が認め、強い絆が生まれた。一つひとつの行動すべてが、今の活躍につながっている。
日本代表のBリーガーの年俸が5千万とも噂される昨今、馬場も日本にいれば1億円プレーヤーになれていたかもしれない。調べたところ、Gリーグは約400万円程度のようでその差は歴然である。しかし、10日間契約でもNBAにコールアップされれば、大きく変わる。それだけのチャンスが転がっており、チャレンジし甲斐がある場所だ。日本人NBA選手が増えてきたことで現実が見え、誰もがそこを目指せば良いとは一概には言えなくなってきている。サラリーが高騰するBリーガーたちにとっては、もはや現実的ではないのかもしれない。それでもチャンスをつかもうとマイナーリーグに飛び込み、我が道を進む馬場は尊敬に値する。今のチャレンジについて、その心境について率直にうかがった。
「海外でプレーするようになって3シーズン目。1年1年同じような挑戦であっても、心の持ち方や経験が増えて行くことで、海外での自分を1年1年見つけつつある。今の心境としては、この環境どうこうではなく、いかにベストなバージョンの自分になれるかというところを目指している。1〜2年目は海外の生活環境に苦しんだ。そのときから考えれば、今はバスケのことだけに集中できている。それによって、他の部分でも成長を感じることができている。ずっとNBA選手になりたいとは言っているが、そこに執着しすぎずに、自分のベストな状態をいかに伸ばしていけるか、そこにたどり着けるかだと思う。そこに意識して、心がけて、今は日々取り組めている」
振り返れば、馬場が歩んで来たこれまでの道もけっして平坦ではなかった。U16日本代表としてアジア3位に導く活躍を見せたが、父・敏晴コーチ率いる富山第一高校は全国区ではない。馬場自身がインターハイやウインターカップへチームを引き上げられるかどうかが期待され、同時に厳しい声も聞かれた。しかし、2年目にはエースとして富山第一高校を全国大会へと導き、雑音をかき消した。プレーも、考え方も、バスケ愛もひっくるめて、当時も今も根っこは変わってないように感じる。良い意味で、向こう見ずにリングに向かって行ってダンクを決める姿は学生時代から変わらない。Bリーグと同じプレーが海外でも通用していることが何より誇らしい。
文 泉誠一