ドラフトされる夢、NBAにだって行ける可能性
── 本当にDリーグにドラフトされる選手が出て来て欲しいですし、大なり小なり夢を持つことが大切ですね。
西田氏:ポロッと出るラッキーの積み重ねが大事です。ニッポントルネードでの僕の役目はできるだけミニマムにし、NBAに行きたい選手、アメリカの大学に行きたい選手たちなどに「こんな方法もあるよ」という道を作っておけば、日本人がアメリカに渡る選択肢が増えると思っています。自分で切り拓くしか無かった道に、ニッポントルネードに乗っかってチャンスをつかめば良いと思いますし、そういうものがこれまでありませんでした。ニッポントルネードには、スキルや体作りなどを育成してNBAまで行ける実績とノウハウを持っているカイロプラティックの先生、ケビン・デュラントやネイト・ロビンソンのトレーニングコーチ、5歳から行うアカデミーを開き、結果的にNBA選手を輩出しているアカデミーのコーチ、オーストラリアリーグなども採用している分析ソフトを作った人もコーチとなり、この4人が”チームトルネード”としてバスケットの知識やトレーニング、さらにステップアップしていくために一番大切なご縁も含めてサポートしていただきながら、IBLで実際に試し、そして上を目指す環境がようやく確立できました。
── ニッポントルネードは学校や道場のようなものに感じますが?
西田氏:確かに今は学校のようなものですが、先々には選手も稼げるようなビジネスの舞台にしたいです。もちろん厳密に言えば、ビザの問題などクリアしなければならない点も多々あります。それはやっていけば、いかようにでも変化させられると思っています。もしかすると、トルネードでプレイした方がNBAよりもお金を稼げるかもしれません。それは誰にも分かりません。現状としては、NBAがあるおかげで、そこを目指す選手はいっぱいおり、そのための階段を作っているところです。今後、どのように変化していくかは、時代の流れとビジネスのやり方次第です。
── スポンサーもついたことで夢も広がりますね。
西田氏:ユニフォームサプライヤーのUPSETさんもそうですが、バスケットだけに限らず良いポテンシャルを持っている会社や経営者が日本にはいっぱいいます。ただ英語ができないとか、海外とのネットワークが無いということで売り上げを日本国内だけにしておくのはもったいない話です。日本とアメリカのサポーターとスポンサーさんをくっつける作業をニッポントルネードを通じて行っています。スポンサーと言うよりも会員になっていただき、ビジネスとして形になったら売り上げの何%かを戻せるようにしたいとも思っています。まずは売り上げを出すためにもお互いに努力しなければならず、そのようなスポーツマーケティングとしてトライしています。今回、UPSETさんのウェアをアメリカで着ることで、日本の製品はこんなに良いんですよ、ということをアメリカのマーケットに出して行きます。
── 今の日本の現状を鑑みても、露出の無いマイナースポーツにおけるスポンサーは企業の心意気次第になっています。だからこそチームや選手が一緒になってマーケットを広げるためにお互いにPRをしながら相乗効果を狙う必要があると感じています。
西田氏:そうですね。コート上も同じであり、サポーターやスポンサーさんも含めてチームなのです。ガードがいて、シューターがいて、リバウンダーがいて、とバスケットではコート上でのチームの役割があるように、オフザコートでも同じように考えて役割分担していくことが必要です。UPSETさんは片岡(大晴/京都)のスポンサーをしていただいているので、一度ご挨拶しようと思ってお会いしました。その時に社長の小野さんが、「偉そうにスポンサーをしているわけではなく、彼ががんばっているのでパートナーとしてお互いに話し合いながらサポート出来れば良いな」と仰っていて、まさにそれだと思いました。
── アメリカでの滞在先の環境は?
西田氏:シアトルから南に行ったところにレントンという街があり、そこに一軒家を借りています。2段ベッドを6台入れて、それ以外も含め20数名は泊まれます。また、バケーションホームという同サイズのレンタルハウスもありますので、どちらかで選手たちはそこを家として生活します。家があれば、食事の面も含めて生活が安定することでバスケットに集中できます。なるべく移動は避けて、日本と同じように家に帰ってオンオフが切り替えられる環境は用意しています。
ニッポントルネード1期生は現在、広島にプロバスケチームを作る!
5年目を迎えようとしているニッポントルネードが、大きな夢に向かっているお話を聞いていたその時、一人の好青年がやって来た。ニッポントルネードの1期生であり、その後バンクーバー・ボルケーノスでプレイ。そして今、NBAへのステップに繋がるプロバスケチームを広島に作ることを目指している広島プロバスケットボール株式会社の中島健太GMだ。お忙しい中、インタビューに加わっていただいた。
西田氏:1期生のケン(中島健太GM)が広島にプロチームを作る社長になりました。自慢の生徒です。
── 早速ですが、中島さんはニッポントルネードに参加して一番得たものとは何ですか?
中島GM:ハッキリ言えばコネクションです。アメリカと日本、また日本の中でのコネクションです。今、プロチームを作るにあたり、スポンサーを集めるために僕や従業員、広島でビジネスされている方などいろんな方々の協力を得ながら、2日で200社が集まりました。まだ見込みスポンサーではありますが、役員クラスと直接交渉できる機会を得たわけです。2日間で200社集められたことは、アメリカでバスケをしてきて良かったと思った瞬間でした。アメリカでメンタル面は鍛えられたと思っています。
西田氏:彼は異端なんです。通って来た道がエリートではない分、不安もあったと思います。でも、「こんなものではない」という自分の中にある許せない部分をどこにぶつけて良いのか、ようするにケンカをする先に困っていたわけです。それを受けてくれるような相手がアメリカにはいっぱいおり、それで救われたのではないかと思います。その環境で、燃え尽きるまでやって行くうちに、日本にも同じようにくすぶってるヤツらがいるんではないか、逆に自分ができることによって夢を与えられる人がいっぱいいるのではないかという部分が彼の中でしっかり根付きました。それは、実際に行動したからこそ分かったことです。広島にもチームが無かったところから行動に移し、そしてケンのように分かっている人が上に立てば、自ずと周りは動いてくれます。苦労した人がプロチームを立ち上げる新しい時代がやって来ました。広島のチーム作りの速さは驚かれています。
中島GM:2ヶ月でほとんど出来上がりました。
西田氏:本当に驚かれていて、普通ならば3〜4年かかるところを2ヶ月でプロチームの下地を作ってしまった。異端だったはずなのに。笑
中島GM:僕は第1期トルネードの中にいて、非常に居心地が悪かったんです。それは、何で前に出ないのだろう、何で勝ちに行かないのだろう、形にこだわらずにもっとガンガン行こうよ、と思っていたし、チームメイトでも遅れてるヤツがいれば置いて行ってしまえ、という気持ちで戦っていました。プロスポーツは勝負なので、必ず勝ちたいという気持ちが一番最初にありました。それでご迷惑をおかけしたかとも思いますが…。
西田氏:全然そんなことないよ。
中島GM:日本人の場合、どうしても横を見ながらみんな揃って前に進む風潮があります。親友なのであえて名前を出しますが、片岡もそういう日本人タイプです。そこは彼の一番良いところでもありますが僕は違い、アメリカでバスケットする方が合うと思っていました。そう思って渡ったアメリカも、今度はそのレベルの度合いが全然違いまして…。僕は3シーズンアメリカでプレイ(IBLバンクーバー・ボルケーノスなど)しましたが、チームメイトにジョシュ・ターヴァーというDリーグのスタメンPGがおり、練習ではいつもマッチアップしていました。すごい選手たちとの経験値を積み重ねたことで、もう誰が来ても大丈夫だろうという気持ちがあり、負けたとしても自分のキャパが増えた分、動じなくなりました。そして日本人としても相当数が少ないとは思いますが、実際にNBA選手とガチンコでマッチアップさせてもらいました。そういったことができるアメリカの環境、バスケットの文化はすごいと思いました。