いきなりの “ステップバックスリー” だった。
左手で小さく、しかし強いドリブルを突くと、右足で踏み切って左後方へ。切り込んでくると思っていたディフェンスとの間合いを作り、3ポイントシュートを放った ── 。
栃木県宇都宮市にある日環アリーナ栃木でおこなわれた「FIBAアジアカップ2025予選」のWindow2。
モンゴル戦にスターティングメンバーとしてコートに立った男子日本代表の比江島慎は、いきなりステップバックからの3ポイントシュートを決めてみせた。
終わってみれば21分36秒の出場で18得点・5リバウンド・3アシスト。8月に34歳を迎えたベテランとしては、十分なスタッツと言える。
その比江島が「僕はこのWindowで(日本代表は)最後のつもりでいます」と言ったのは、モンゴル戦の8日前、11月13日におこなわれた公開練習でのことだった。
パリ2024オリンピックの前にもそんなことを語っていたが、今回の招集は受け入れたのには訳がある。ひとつはパリ2024オリンピックが不完全燃焼だったこと。もうひとつは、最後になるかもしれない日本代表のユニフォーム姿を、自身の所属チーム、宇都宮ブレックスのファンに、ほかならぬ地元・宇都宮で見てもらいたいと思ったからだ。
むろん悩んだと認める。年齢的な衰え ── 体力的というよりも、リカバリーのことだろう ── もさることながら、後進に道を譲ることも、逡巡する要因の一つだった。大学生のときから日本代表に選ばれ、その経験値を積み重ねてきた比江島だからこそ、身を引くべきだと考えたのである。
長年、アジアの壁に跳ね返されてきたが、2015年にはアジア選手権(現・アジアカップ)で4位入賞している。なかでも準決勝・フィリピン戦は忘れがたい。前半は比江島の22得点もあり、食らいついた。しかし後半は6得点。試合後、比江島は絞り出すように自らを責めた。
「自分が試合を壊してしまった……自分の体力が残っていれば、あんなことにならなかったですし、自ら交代を告げてもよかったのだけど、それも言わずにやってしまって……自分がゲームを壊してしまいました」
ミックスゾーンで大きくうなだれる比江島を、フィリピンの当時のヘッドコーチ ── トーマス・ボールドウィンが抱えるようにして、一言二言告げていたのは、彼がアジアでも認められる存在になったからだろう。
そのとき25歳。モンゴル戦のロスターで言えば、西田優大や井上宗一郎と同じ年齢である。その一つ上が吉井裕鷹、川真田紘也。彼らの年代で比江島はすでに日本を文字どおり背負い、敗れ、悔恨の涙を流していたのである。
その悔恨を忘れることなく、前だけを見つめてきた。だからこそ、ワールドカップ2023や、パリ2024オリンピックに昇華させることができたとも言える。その過程で最愛の母を亡くし、NBL(オーストラリアのプロリーグ)に跳ね返され、NBAにたどり着けなくても ── 。
だからこそ、聞いてみたかった。不完全燃焼に終わったパリ2024オリンピックで感じた新たな壁は何だったのか。後進に道を譲るにしても、それを伝えることもベテランの役割といっていい。
「トムさんのバスケットは難しいんで……」
「ポイントガード中心のバスケットになるけど、僕らのようなハンドラーがポイントガードを助けて……」
いつものように、まとまらない考えをいくつか口にした後、こう言っている。