山口県の男子代表は、県立豊浦(とよら)。平均身長173.2cmは出場50チーム中、最も低いが1回戦では県立川内(鹿児島)59-47で勝ち、2回戦では京北(東京)を64-57で破ってベスト16へ進んだ。
「身長の低さ」に注目したがもうひとつ、「チーム創部1927年」という歴史も気になった。例えば、名門・県立能代工業は1933年創部で、京北は1929年の創部だ。県立鳥取東が1925年創部と記されており(アンケート未記入のチームがあるが)、最古参のようだ。1927年創部の豊浦は二番目か!?
『豊浦高校』で検索して知ったのが同校の長い長い歴史。寛政4(1792)年、長府藩の藩校『敬業館』としてスタートし、私立豊浦学舎が明治8(1875)年に創設された。『県立豊浦中学』に改められたのが5年後のことで、その後、さまざまな変遷を経て昭和29(1954)年に『山口県立豊浦高校』へと改称された。
歴史の授業で習う乃木将軍は卒業生の一人。他に「著名な出身者」として政治家や教育者の名が並んでいる。そして、その中にはアスリート代表、中川和之(つくばロボッツ)の名も……文武両道を標榜し、県下ではバスケ部や陸上部、レスリング部などが強豪校として知られている。今回バスケ部は9年ぶり9回目のウインターカップ出場を果たした。
赴任3年目の熱血教師
“豊浦らしさ”を追求し、ウインターカップへ。
──長い歴史のある学校ですね、OBに乃木将軍の名前がありますが?
枝折:そうですね、僕自身は卒業生ではないので、学校の歴史はこれから勉強しなければなりません(笑)今大会には関東在住の同窓会の方々にも来ていただいて、学校の歴史の重みと誇りを感じています。
──プレッシャーというか、大変なこともあるかと思いますが?
枝折:プレッシャーは特にないですが(バスケに関しても)、今まで先輩方が築いてきたものがありますから、見習うべきところ、良き伝統はつないでいかなければならいと考えています。いいところは継続し、つないでいく。ただ、選手たちには“目標はベスト4”と言い続けています。それは、「自分たちが新しい歴史をつくるんだ」という強い気持ちを持ってもらいたいからです。今までの歴史にとどまっているのではなくて、“全国で勝つ!”ということで、自ら変えて行く……それは、赴任時に1年生だった今の3年生に徹底して来ました。
──赴任3年目で、ウインターカップは9年ぶりの出場。インターハイは2年連続で出場し、特に今夏はベスト8に進んだ県立小禄(沖縄)に1ゴール差という接戦を演じました。確かな成長を実感されていると思いますが?
枝折:ベスト8の可能性はあったかな、と。だからこそ、何が足りなくて、どうしなければならないかがわかりました。それは、選手たちも同じだと思います。選手たちと一緒に、僕も勉強しています。まだまだ若いですし、選手たちには「一緒に勉強していこうや」って、ずっと話をしています。
一緒に頑張ろうや!
全国で勝つチームづくり
──先生ご自身のバスケ歴は?
枝折:岩国高校から天理大学へ進学し、関西選抜に入ったこともあります。教員チームでプレイを続けていますし、国体の成年男子は10年ぐらいでしょうか。昨年は教員大会で全国準優勝、今年は優勝しました。僕自身、上背があるわけではありませんから、県下の中高校生たちの見本になれればいいなという思いがあります。だんだん体は動かなくなってきましたけど(笑)
──ベンチワークを拝見していると、まだまだ大丈夫でしょう?
枝折:いえいえ(笑)まぁ、皆と一緒に戦うよ、ということが伝わればいいですね。自分が楽しくなければ選手たちも楽しくない。選手たちが楽しくなければ俺だって楽しくないよ、っていうのはお互いに理解していると思います。
──「楽しい」というのは?
枝折:勝敗がありますから、勝つことは大事ですが、それ以上に過程が大事なんです。学校生活をきちんとして、人間形成につなげて欲しい。「目標を掲げ、努力を続ける」「仲間を信頼してチームワークを育む」そういうことを大切にして欲しいんです。その中で、勝ったら喜び、負けたら涙でもいいから、“一緒に頑張っていこうや”って……その中で、勝つチームを育てていきたい。学校の仲間から応援されたり、県下の関係者からも応援されたりするチーム。周りの人が見て「一生懸命やっている」と感じていただけるチーム……でも、“だからこそ勝とうや”って、高い目標を目指しています。
──身長が低いのはどうしようもないですよね?
枝折:背の高い選手がいるに越したことはないんですが、それはどうしようもありません。山口のチームは、どのカテゴリーもそう(笑)でも、ミニバスは全国大会で優勝しましたし、中学生はジュニアバスケットで活躍しています。高校生も盛り上げていこうと頑張っていますし、どうやったら勝てるのか追求しています。こういう経験(インターハイ、ウインターカップ)を踏まえて、好結果が得られるようになると信じています。
3回戦、勝てばベスト8となる試合は香川代表の尽誠学園に敗れ(59-68)、目標のベスト4には届かなかった。が、U-18代表候補になったキャプテン#14中村功平選手を中心に、積極的なオフェンス、粘り強いディフェンスという“豊浦らしさ”を発揮していたように感じた。点差が開いても皆でボールを追い、ミスがあれば励まし合う。ベンチでの枝折コーチの身振り手振りは、選手たちに勇気を与えたに違いない。
敗戦を振り返る中村キャプテンは、負けた悔しさと精一杯プレイした満足感を味わっているようだった。
──初めてのウインターカップはいかがでしたか?
中村:やっぱり独特の雰囲気でした。たくさんの応援をいただいて、プレイ中は楽しかったんですが、目標のベスト4に届かなかったのは悔しいです。
──「目標はベスト4」ですが、最初は高い目標だと感じましたか?
中村:最初はそうですでしたが、先生が引っ張り上げてくれたと思います。インターハイを経験し、頑張れば行ける、そう思っていました。
──チームを見ていると、皆の気持ちがひとつになっている、そう感じました。キャプテンとして気をつけたことは?
中村:練習中、息が合わないプレイがあるたびに話をするようにしました。先生から、「皆でコミュニケーションを取りなさい」「声を掛け合いなさい」とよく言われたので、そこは自分からできるよう気をつけたつもりです。
──U-18の候補になったり、全国大会でプレイしたり、バスケがどんどん面白くなったのでは?
中村:そうですね。インターハイやウインターカップでプレイし、U-18の合宿も経験しました。大学はもっと高いレベルでプレイがしたいと考えるようになりました。自分は無理かな、と思っていたんですけど、チャレンジしたいという気持ちになったんです。
──枝折先生とは一緒にスタートしたわけですが、どんな先生ですか?
中村:熱い先生です(笑)練習中から、僕たちに高い意識を植え付けてくださったというか……自分たちは、先生が考えているレベルに達していなかったというか、考えてもいませんでした。でも、先生のレベルに近づいていくにつれて、結果が出てきたんです。怒られてばっかりで、大変だなぁって思った時期もありましたが、今は成長できたと実感できて嬉しいです。「自分たちで歴史をつくろう」と、何度も確認し合って来ましたが、少しは実現できたと思っています。
赴任したばかりの頃、伝統的な校風に驚いたという枝折コーチ。体操着はランニングスタイルで、式典は厳かな雰囲気。2階の応援席には年配の卒業生も駆けつけていた。声と動きを合わせ、一生懸命応援する(エントリー外の)バスケ部員たちは手に学生帽を握りしめていた。聞けば、「男子は全員購入します」(中村キャプテン)とのこと。
豊浦の伝統に誇りを感じ、温かい先輩たちに見守られながら、バスケ部として独自の歴史を積み重ねて行こうと頑張る枝折コーチと部員たち。目標達成は思いのほか早い段階で実現するかもしれない。
=余談=
『BASKETBALL SPIRITS』への寄稿も多く、頼りとしているスポーツライター・M氏(そう、三上 太氏)は山口県出身。何でも枝折コーチのお父様からバスケを教わっていたそうで、枝折コーチが幼少の頃から知っているとのこと。笑顔で会話を交わしていたが、バスケでつながる縁はとても面白く、やっぱり良いものだと再確認した。
文・羽上田 昌彦(ハジョウダ マサヒコ)
スポーツ好きの編集屋。バスケ専門誌、JOC機関紙などの編 集に携 わった他、さまざまなジャンルの書籍・雑誌の編集を担当。この頃は「バスケを一歩前へ……」と、うわ言のようにつぶやきながら現場で取材を重ねている。 “みんなでバスケを応援しよう!”を合言葉に、バスケの楽しさ、面白さを伝えようと奮闘中。