ベスト4への扉は重かった。
ウインターカップ5日目、7年ぶりに進出した準々決勝の舞台で、能代工業は福岡大付属大濠に84-94で敗れた
「敗れましたが、今日は試合に出ている子がみんなよくやってくれた。精神的な部分で成長できたかなと感じています。でも、選手も私も満足しているわけではない。それは4つ(ベスト4)に入っていたとしても同じこと。だからまた頑張って、頂点を極めるために来年もここに帰ってきたいと思います」(佐藤信長コーチ)
高校バスケットボール界で『能代工業』と言えば、その名前の前に必ず『名門』の文字が記される。初代監督の加藤廣志氏が『高さへの挑戦』を旗印に鍛え上げたチームは、卓越した走力とスピード、そして、どこよりも粘る泥臭いプレーを武器に全国大会の常勝校に成長した。1990年に監督を引き継いだ加藤三彦氏もまた田臥勇太(現NBLリンク栃木ブレックス)を擁した3年間に全国大会を総舐めにするなど、数々の栄光の足跡を刻んできた。
そんな強豪チームの卒業生として明治大学→住友金属→アイシン→松下電器でプレーした佐藤コーチが三代目の監督に就任したのは2008年3月のこと。だが、それは常勝軍団・能代工業の強さに翳りが見えてきた時期でもあった。佐藤コーチの情熱とは裏腹にチームは優勝から遠ざかる。無敗伝説を作ったチームが県内トップの座を明け渡す屈辱も味わった。自身は多くを語らないが、監督就任から6年余の間には数知れぬ苦悩や葛藤があったに違いない。
「名門という名を背負った重さはあります。それは選手たちも同じこと。特に今のチームは四十何年かぶりに県内で負けたところからスタートしたわけですから。きっと選手たちは他ではないようなプレッシャーを感じていたと思います」
夏のインターハイで1回戦負けを喫した後は、ひたすらメンタルの強化に努めた。
「今年の選手たちには技術はある。そのレベルは高いと思っています。でも、メンタル面ではまだまだ。そこが強くならないと上には行けない」
今大会の初戦で九州学院、2回戦で岐阜農林を破った後も「いい内容だったとは言えない。キャプテンの長谷川(暢)が自分自身をコントロールできていない」と厳しい言葉が続いた。
その長谷川は埼玉県出身ながら「バスケット選手としてもっと成長したい」という強い思いで能代工業の門を叩いた選手。まじめで責任感が強い性格は佐藤コーチが誰よりもよくわかっている。
「責任感が強いからこそ、自分がやらないという気持ちでガチガチになってしまう。だから、ホテルの部屋に呼んで言ったんです。責任を感じることはないんだよ。自分がバスケットを始めたときの初心に戻って伸び伸びプレーしなさいと」
そして、迎えた翌日の東海大第四戦、「長谷川の表情から硬さが消えたことにすぐ気づきました。同時にチームもいきいきしてきた。メンタルの部分で上がってきてるなという手ごたえを感じました」
しかし、それでもこじ開けることができなかったベスト4への扉。立ちはだかったインターハイの覇者・福岡大付属大濠の壁は厚かった。
「ですが…」と佐藤コーチは言う。「今日はみんな前を向いてゴールを目指した。何より頼りになるキャプテンがコートに帰ってきてくれたことが嬉しいです」
長谷川はこの日チームハイの28得点、6アシストをマーク。残り1秒まで力強くチームを牽引した。
「あれが本来の長谷川の姿。最後の試合でその姿を見ることができて本当に嬉しかった」
主力の多くが下級生であったチームには来年への期待も高まる。
「3年生が連れてきてくれたベスト8からさらに上を目指さないといけません。同じこの舞台で今年以上の結果を残さなければ学んだことにはならない。そのためにはこれまで以上にリバウンドとルーズボールを泥臭く、泥臭く頑張ります」
その泥臭さこそが名門・能代工の伝統。
「それこそが能代工のバスケットですから」
松原 貴実