本名、又木 真平a.k.a SHINPEI。
表記を確認したら、「しんぺー」でも「シンペー」でも「SHINPEI」でもこだわりはないとのこと。強面で口数は少なそうな印象だ。いつも以上に言葉を選んでインタビューしたつもりだが、本人は「どうだったかな!?」と、何度も首をかしげる。(自分のことなのに!?)あまり物事にこだわりを持たない質なのかも……本当は一途で、他人の目は気にしない、ただそれだけなのだ。
鼻持ちならない男のバスケ道!?
──バスケットボールのキャリアを教えてください?
SHINPEI:小中は野球をやっていて、高校も野球をやろうと思っていました。ただ、坊主がいやで二日目に部活を辞めて……その頃、バスケが流行っていたと思うんです。それで、ですかね。おそらく『スラムダンク』のど真ん中世代で(僕は読んでいませんが)、友だちがバスケをやっていたのかな!?……なんでバスケ部だったんだろう!?……。強豪校じゃないし、楽しくバスケをやっていた感じです。
──人気があるし、女の子にモテそうだし、それでバスケを選んだんじゃ?
SHINPEI:それもあったと思います。でも、なんでバスケだったのかなぁ……。親の影響でしょうか。「坊主にしても野球が上手くなるわけじゃない」みたいな考え方だったと思います。
──高校からだとしたら、周りは経験者がほとんどだったでしょう?
SHINPEI:そうですが、付いて行けないとは思わなかった。スポーツだけは自信があって、どの種目でも「やってみればある程度のレベルまで上手くなる」という確信があったんです。子どもの頃から運動は得意分野。一番にならないまでも常にトップクラスでした。バスケはビギナーもいいところでしたが、新チームになった途端にレギュラー入りし、2年生になったら、「自分が一番上手い!」って勝手に思っていましたよ。実際の実力はわかりませんでしたけどね。練習は毎日ではなくて、それも参加していたかどうか。バスケ一筋というわけではありませんでした。
──練習をサボったり!?……それでもバスケを続けた理由は?
SHINPEI:たぶん、当時の自分の心境に一番合っていたんでしょうね。とにかく「やらされる」感じが嫌いだったし、なぜか「頑張るのがカッコ悪い」と思っていました。たとえ頑張っていたとしても、それを見せるのはカッコ悪い。思春期特有の感覚かも知れませんが、バスケ部なら、その感覚で大丈夫だった。試合は勝てなかったし、県大会がどうのとか言っても興味がなくて、何も目標はありませんでした。
──思い入れがなかった? ちょっと流行っていて、カッコいいかなぐらいの軽いノリ!? インターハイってどんな感じなんだろうと想像することはなかった?
SHINPEI:いっさいなかった。“自分が一番上手い!”って思っていましたからね。本当はヘタなのに(笑)
──その自信は何なんでしょう?
SHINPEI:何でしょうか!? 一つ理由があるとすれば、「オレは高校から始めたから」という言い訳があったからだと思います。何か言われたとても、「高校から始めて、このレベルなんだから大したもんだろう」って。「お前ら、中学やミニからやっていてそのレベルか」って、最低でカッコ悪い言い訳を心に秘めていたんです。鼻っ柱をへし折られるようなことがあっても、ある意味、まったくへこたれない。
「バスケに一生懸命だった……」わけではなさそうだが、羨ましいほど自信に満ちた少年だったことは間違ない。努力のかけらも見せず、一見、上手そうなSHINPEIは、好きなことをやってノビノビ育った。とりあえず、バスケ部は3年間続け、普通に引退した。
──その後、バスケを続けようと思っていましたか? 進路はどう考えていたんでしょうか?
SHINPEI:バスケ部を引退してから、友人たちと草野球チームをつくって遊んでいました。気の合う仲間だし、また野球をやり始めて面白かった。大会に出て、結構いい成績だったと思います。何か目標があったわけではありません。
大学進学も考えましたが、とにかく勉強が嫌で、スポーツに関わる仕事に就こうと思っていたんでしょうね、子どもの頃はプロ野球選手になりたかったし。スポーツ関連の専門学校に入学だけはしました(笑)
──入学しただけ? やはり明確な目標は見えていなかった?
SHINPEI:目標は……そうですね、何をやりたいのかわからなかったかな。漠然と、目標らしきものは見つけても、結局はそこから逃げてしまうというか……嫌になって辞めて、そのあとはフリーター。高校生の終わり頃からは、相当やんちゃな生活でしたね(笑)
悔しさから始まったバスケ一筋の生き方
──再びバスケをやりだしたのはどうしてでしょうか? バッシュはずっと持っていたんですか?
SHINPEI:バスケは、一応続けていたというか、中学の同級生とチームをつくっていました。バッシュはずっと持っていたと思いますよ。野球をやって、バスケをやって……。
──ここまでのキャリアでは、一生懸命バスケをやっている印象がないのに、今回の取材のために練習時間と場所を確認したら、ほぼ毎日スケジュールが入っていてビックリ! これはTEAM-Sに入ってから?
SHINPEI:いえ、違います。(経緯はよく知らないんですが)友だちとつくっていたバスケチームが、他のチームに吸収されることになり、試合に出られなくなってしまいました。自分から「いいよいいよ」って引いたところもあっけど、そうは言いつつ、“悔しくて頑張ろう”と思うようになった。それが24、5歳の頃です。
──悔しい!? 何をやっても自分が一番だと思い、心が折れることはなかったのに?
SHINPEI:そう、「オレってそんなに上手くないぞ」って。と同時に、“悔しい”って思いました。それで、同じ地区の強豪クラブの練習に参加するようになったんですが、本当の意味でバスケにのめり込んだのはその頃から。BADBOYSというチームでしたがレベルが高く、自分が知らないことばかり……バスケットボールを教えてもらいました。本当に「教わった」という感覚。バスケが面白くなりましたね。10年ほどいましたが、僕が代表者になるぐらいどっぷり……そこが原点であり、すべてです。
──BADBOYSは皆が明確な目標を持ち、それに向かっていくチーム。それが楽しくなった?
SHINPEI:当時のキャプテン、吉田 猛さんがとても熱い人で、“お前は頑張らないからカッコ悪い”って言われたんです。“能力は高いけど、お前のバスケは好きじゃない”って面と向かって言われました。今までそんなことを言われた経験がない……というより、それまでは周り人間が自分に気を遣うというか、遣わせるというか……ところが、その吉田さんは直接、本当にドラマの1シーンみたいに“お前のバスケは……”って。今でも鮮明に覚えています。たぶん腹を立てたと思います。でも、何も言えなかった。少し前の自分だったら、「じゃぁいいや」って辞めていたでしょうね。でも、辞めなかったし「もっとバスケを頑張りたい」、そんな思いが湧いてきたんです。どう答えたかは覚えていませんが、薄ら笑いを浮かべていたかも知れません。
その後、正式にメンバーに迎え入れてもらいました。“頑張るんだったら、いいよ”って。とにかく練習は熱心に通っていたので、それで認められたんだと思います。なかなか試合に出られなかったけど、練習は休まなかった。
──大きな心境の変化ですね? かけがえのない仲間ができ、居心地のいい場所ができた?
SHINPEI:その頃バスケはヘタで、ただ一生懸命やっていただけ。だけど、可愛がってもらったんでしょね(笑)あまり年上の人たちと付き合うことがなかったんですが、周りに認められたという感覚がうれしかったんだと思います。
──以前は、「頑張っている自分」がカッコ悪いと思っていた。でも、ここでは素直にバスケに打ち込む自分が居たわけですね?
SHINPEI:知らず知らず、自然に変わっていったんでしょう。今は「頑張らないヤツはカッコ悪い」という言葉(思い)や感覚がすごくわかります。若いメンバーに対して、僕が伝えられることがあるとしたら、それだけかも知れません。
熱く語るキャプテンとの出会いでスイッチが入ったSHINPEI。バスケ一筋の人生をひた走っている。そして、BADBOYSからTEAM-Sへと移り、ストリートにも活躍の場を広げた。
いつまでも現役! 限界はまだまだ先
──TEAM-Sと出合ったきっかけは?
SHINPEI:BADBOYSにいた頃、TEAM-Sとはよく試合をしていました。BADBOYSでは齋藤 洋介(現・横浜ビーコルセアーズ)とチームメイトで、いつも一緒に練習する仲。彼からもバスケを教わりました。洋介と一緒にいろいろなチームの練習に行っていたんですが、洋介がプロになっちゃって……一人で行ったこともあるんですが、満足できる環境が確保しづらくなり、刺激がなくなってきた。それで、ANちゃん(TEAM-S代表)に「今度、練習に行っていいですか?」って聞いたのがきっかけです。練習だけのつもりが、メンバーが足りないからゲーム(ALLDAY)に出て欲しいと言われ、ちょっと活躍できたと記憶しています。すると、今度SOMECITYがあるんだけど、出てくれない!?って。「何もできないですよ」って言ったんですが、基本的には目立ちたいし(笑)そんな僕にはSOMECITYは最高のステージ。
──それまで3on3というか、ストリートボールの経験はあった?
SHINPEI:観てはいましたが、基本的には5on5。洋介が『勉族』でプレイしていたので観に行っていました。ただ、自分がここで活躍できるイメージはなかったですね。「プレイできればいいな」っていう憧れというか、思いはありましたけど。
【TEAM-SとANちゃんのこと】
=ジャパニーズ・ストリートボール創成期からシーンを牽引し、今なお第一線に君臨し続ける横濱のパイオニア。週刊ビッグコミックスピリッツで好評連載中『DRAGON JAM』でもお馴染み・バスケショップ『forgame』のオーナーANちゃんの引力に惹かれて集まった、永遠のバスケ小僧たちである=SOMECITYオフィシャルサイトより
ストリートボール界でその名を知らない者はもぐりだ(……私も最近までもぐりだった)。SOMECITYやDRAGON JAM等でその存在は知っていたものの、直接お話を聞くのは初めて。何とも愉快で豪快で、実際のANちゃんのエピソードはぶっ飛んでいた(笑)
バスケを始めた理由、バスケを愛する理由、ボーラーたちに慕われる理由……「青春時代、バスケで楽しく過ごしたい」と、テキトーに始めたのが“ストリート”バスケだった。だが、なぜかハマってしまったバスケ。その情熱はハンパなく、TEAM-S結成したり、プロショップ(forgame)を始めたり……今や、ストリートも5on5も関係なく、バスケに賭けるANちゃんの行動力と包容力(安心の『AN』だと力説するのだが!?)に誰もが魅了される。すでに青春後期(!?)だが、独自の視点で“バスケの発展”のために汗をかき続けるANちゃん。TEAM-SはANちゃんのマインドが反映されているだけに、一見怖そう(失礼!)でも、とっても愉快な仲間が集まる、ハートウォーミングなチームだ。
ANちゃんは、SHINPEIがリスペクトする人物の一人。他に、BADBOYSの吉田キャプテンとチームメイト・齋藤選手の名を挙げた。
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──残念ながら、TEAM-S はSOMECITYでは降格になってしまいました。ただクラブチッタのイエローコートにも立ちましたし、これからどういうプラン(人生設計)を描いているのでしょうか?
SHINPEI:バスケ、やり続けます。バスケに関わる仕事をしたいと思っていますし、まだ漠然とですが、少しずつカタチになりそうな手応えを感じています。
──「永遠のバスケ小僧」のまま? プレイヤーとしての限界はまだ見えないですよね?
SHINPEI:まだまだ(笑)。もっと上手くなれるんじゃないかと思っています。まだ覚えることがあるし、知らないことがある。学ぶことはたくさんあります。
──高校生ぐらいまでは、「何やってもそこそこできる」って思っていたのに、謙虚になった?(笑)
SHINPEI:まだまだ吸収したい。いろいろなボーラーを観て、いろいろなプレイを観て、「あれなら俺にもできそう」「あれはどうやったらできるんだろう?」って。もっと上手くなりたい。
──以前は「頑張っている姿は見せたくない」「頑張るのはカッコ悪い」と思っていたけど、今は違う?
SHINPEI:今は上手くなれるんだったら、必死で頑張る。床に這いつくばってもルーズボールに飛び込むし、ボールに触れなくてもリバウンドに絡む。一生懸命汗をかいてプレイしなければ、自分は上手くなれないと思っています。周りの目はまったくに気にならない。「負けたくない」「もっと上手くなれる」「伸びしろがある」と自分を信じているから。
身体能力の高さは誰もが認めるところ。メンタルの強さは子どもの頃(特に思春期!?)から培った筋金入り。自己満足的だった自信は、一生懸命に取り組む練習と、旺盛な探究心で確固たるものとなった。
SHINPEI:もう楽しくてしょうがない。こんな俺でも凄いボーラーたちと真剣勝負ができる。負けたとしても失うものはないし、相手を抜いてシュートを決めたり、ブロックしてマイボールにしたり……カッコ悪かろうががむしゃらに勝負を挑むのが自然体。バスケに関しては常に全力投球です。ずっと、ギラギラとボールを追い掛けるボーラーでいたい。
自然体……SHINPEIはいつだってそうだ。カッコいいからとバスケを始めた頃。目標を見失いかけながらもバスケを続けた日々。チームメイトのひと言で目覚めたバスケ一筋の生き方。『BADBOYS FOR LIFE』というタトゥーにしても同じ。「単なるファッションで、思い入れはないです」と照れ笑いを浮かべるが、自分にとってかけがえのない出会いはゼッタイに忘れない、そんな強い思いが伝わってくる。そして、それもまた自然体だ。近寄り難い風貌で、そこがまた気になったのだが実は柔和な笑顔が魅力的。ストリートボールの取材先で何度も彼を見かけた偶然は、偶然ではなくSHINPEIが心底バスケ好きだからにほかならない。ストリート系の大会にお出かけになる皆さん、会場で周りを見渡してください。もしかしたらSHINPEIがいるかも知れませんよ。
文・羽上田 昌彦(ハジョウダ マサヒコ)
スポーツ好きの編集屋。バスケ専門誌、JOC機関紙などの編 集に携 わった他、さまざまなジャンルの書籍・雑誌の編集を担当。この頃は「バスケを一歩前へ……」と、うわ言のようにつぶやきながら現場で取材を重ねている。 “みんなでバスケを応援しよう!”を合言葉に、バスケの楽しさ、面白さを伝えようと奮闘中。