ストリートボールリーグなんてものが無い時代から、TEAM-Sの一員としてストリートボールシーンを引っ張ってきた。当時は誰に見られるわけでもなく、ライバルFAR EAST BALLERSと凌ぎを削り合いながらも、お互いにいつかもっと大きな舞台を作りたいとコート内外で激しく切磋琢磨してきた。
2005年、プロストリートボールリーグLEGENDが誕生。バスケットのダイジェスト版としてバスケットのカッコ良さだけを切り取ったような創生期において、けっしてTAKUは華やかなプレイヤーではなかった。しかし“バスケットボールの教科書”と言われた彼がいたからこそ、バスケットの芯を貫いたからこそ、見応えあるストリートボールシーンを築くことができたと言っても過言ではないだろう。
10年強に及ぶストリートボーラーに節目をつけた2月5日に行われたSOMECITY CRASH。2シーズンに渡り下部リーグSCDLに甘んじていたTEAM-Sを、自らの手で光の当たる舞台に戻して去りたいというTAKUの思惑は叶わず。420に延長の末に敗れ、ラストゲームを飾れずにSOMECITYのイエローコートを去ることとなった。
敗因は体力が16分間持たなかったこと
思いの外、TEAM-Sとしての最後のミーティングはサクッと終わり、TAKUはすぐに姿を現した。まずはラストゲームへ向かう前の心境を振り返ってもらおう。
「入替戦なので勝ちたいという気持ちが強く、正直言って最後という実感は無かったんだけどね。でも会場に入って、みんなでウォーミングアップして、みんなでステージ裏で控えていた時、みんなとこうして試合に臨むこと自体が最後なんだな、とあらためて思ったその時が一番感慨深かった。試合前の緊張感を感じられるのも、これが最後なんだろうなって思った試合直前が一番そう感じていた」
勝てば良い置き土産となったが、うまく行かないのが真剣勝負。
「完全に僕自身も体力無くなっちゃいましたね(笑)。後半はもう足に力が入らなくて、全部シュートが流れちゃうんだもんなぁ。どこかで最初の2分よりも、後半はみんなの体力が絶対に落ちてしまっていた。しかも、僕も含めてほとんど交代なく出突っ張り。負けた原因は何かと言えば、体力が16分持たなかったこと」
「思いっきり攻めろ!俺たちがリバウンドなど泥仕事はするから、どんどん打て」と仲間たちから言われて臨んだラストゲームは、その通り3連続シュート成功からスタート。追いつかれても、逆転されても、TAKUのシュートでリードを奪った前半。リードされた後半も、最後の最後で巧にファウルをもらい、3つもらったフリースローを落ち着いて決め、36-36。しかし、たった1分間の延長戦では、歯車を回す前に相手の勢いに押されてしまい36-40で敗れ、レギュラーチームへ昇格させるには至らなかった。
それもまたTAKUの歴史であり、ストリートボールシーンの歴史でもある。そして、悔いは無い。
「振り返ってみたら、結構長いですよね」
知らぬ間にTAKUらが築き上げ、駆け抜けて来たストリートボールシーンも10年が過ぎ去っていた。
「トップリーグでやっていないような選手たちだけで作ったリーグだったけど、お客さんが来てくれるようになり、それが段々増えて多くの方々に見られるようになり、すごくプロ意識というものを感じながらプレイできたことでストリートには本当に育ててもらった。本当に成長させてくれた環境でした。ストリートがきっかけでいろんな人生が開けて来て、次のキャリアにもつながっている。良い意味で人生を変えてくれた時間でした」
バスケットで自分を表現したい!それができたSOMECITY 2009シーズン
LEGENDシーズン4王者となり、SOMECITY 2009シーズンではTEAM-Sをチャンピオンへと導いた。さらにAND1 MIXTAPE JAPANツアーへ出場など、あらゆる経験をして来たTAKUにとってのストリートボール人生を振り返っていただき、一番印象に残ってることをどれだろうか?
「一番印象に残ってると言えば、TEAM-Sが優勝したシーズン。みんながピークを迎えていた時でしたね。しっかり体が動けていたし、TEAM-Sとしてのバスケットが表現できていた。話は変わるけど、僕の中ではバスケットを通じて自分のことを表現したいんですね。歌とかであれば分かりやすいけど、バスケットだとなかなか伝わりにくい。でも、そのシーズンは自分たちのバスケットを表現できていたという実感がある。頭で思い描いていたり、練習して来たことがコートで表現できたし、結果にもつながった。思う通りにシュートを打つことができ、そして入った。あのシーズンはバスケットをコントロールすることができていた。だから、一番印象に残っています」
ピック&ロールで頂点になったLEGEND王者らしく、やはりチームで勝利したゲームを挙げた。
「やっぱりバスケットは泥仕事をやる人間がいるからこそ成立するもの。LEGENDは、3人全員にスポットライトが浴びるから難しいです。結局、あの3人の中で誰かが泥を被らないと噛み合わないけど、そうもいかない。そういう意味では目立たなくてもしっかり仕事をすることができるのは、SOMECITYの方だった。僕はたまたまシュートを打つ役目だったけど、すごくやりやすかったし、チームメイトと喜んで、悔しがってということができるのが心地良かった」
コーチとしての新たなる挑戦の鍵はバスケIQ
TAKUは斎藤 卓に戻り、今後はコーチとして新たなる挑戦が始まる。来シーズンよりNBDL参戦がすでに発表されているアースフレンズ東京Zで、スタッフとしてチームに参加することが決まっている。これまでの話を聞いていても、チームプレイを常に考えているTAKUにとっては最適の仕事であり、楽しみなチャレンジだ。
「やっぱりバスケIQが鍵になる。人数が増えるほど、身体能力だけで勝てるスポーツではないのがバスケット。その点をしっかり考えてできるプレイヤーを育てたいし、そうではない選手にも身体能力に頼らなくてもバスケットはできるということを伝えたい。相手に読まれてからの駆け引きがバスケットの本当の楽しさであって、右か左のいずれに行くかをせーので抜けました、は僕はバスケットじゃないと思ってる(笑)。そこには駆け引きなんかないし、それはジャンケンなんです。俺はグー出すからね、そっちは何出すの?という駆け引きができるのが本当のバスケットであり、それこそがバスケットの醍醐味。あえて後出しでパーを出しておきながら、相手の出方を見てチョキを出す。結局は相手の裏をかいて勝てば良い。そういうことがバスケットの楽しさなのに、それを知らない選手が多いのも事実。それはもったいないとも思っている。今後はベンチワークから相手と戦うことになるけど、それは楽しいことだし、選手同士も駆け引きすることでもっとバスケットを楽しめることを教えたい」
すでにクラブチームとしてのアースフレンズではヘッドコーチとして活動しており、3月20日(木)から愛知県・パークアリーナ小牧で繰り広げられる「第40回記念 全日本クラブバスケットボール選手権大会」に神奈川代表として出場権を獲得した。新天地での活躍を祈るとともに、観戦者としても新たなる楽しみが増えた。
最後に家族のような絆で結ばれたTEAM-Sの仲間たちへ、そして支えてくれたファンへのメッセージを紹介し、TAKU引退記念インタビューを結びたい。
「チームのみんなには本当に感謝の言葉しかない。練習に毎回行けるわけではなかったのに、信頼してずっと使い続けてくれたANちゃんに対してもそうですし、信頼してパスを出してくれたり、腐らずに毎回リバウンドに飛び込んでくれた仲間たち、本当にみんなに感謝したいです。ファンのみんなには、引き続きSOMECITYも、TEAM-Sももちろん応援して欲しいですが、バスケットにはいろんなステージがあり、それぞれに良いものがあります。SOMECITYからも選手たちがいろんなリーグに行ってますが、それぞれのバスケットを実際に見て、興味を持ってもらいたいと思っています。今の日本において、どのステージで戦っていてもやっぱりバスケットを知ってる人たちが会場に来てくれることが一番なんです。いろんなチームにみんなが行けば、少しずつファンは動くわけです。それが日本のバスケットが盛り上がっていくことにつながるはずです」
泉 誠一