NBLファイナルは東芝神奈川が連勝し、24日(土)の第3戦で早くも王手をかけた。後がない和歌山だったが、いよいよツキにも見放されたか、第2戦から#3パーカーがケガで離脱。第3戦は#7リカートも肉離れで不出場となってしまった。万全のチーム状態であっても苦戦は免れないのに両外国籍選手不在の戦いを強いられた。
この試合、和歌山の巻き返しを期待していたが、どう見ても厳しい。そうなると、あれはどうなる?……このファイナルでもうひとつ、気になっていたことがあった。「ミスタートライアンズ」こと永山 誠選手の引退だ。今シーズン限りを表明しており、ファイナルで負けると即、彼のラストゲームとなってしまう。
アイシン三河とのウェスタンカンファレンス・ファイナル、1勝1敗のあとを受けた第3戦。勝利した和歌山の記者会見で#9川村は、「マコさん(永山)の引退は、僕にとっては大きなこと。絶対にファイナルに連れて行きたかった」とコメントした。永山にとっては初のリーグファイナルとなる。
「代々木に行けば(ファイナルに進出すれば)、彼は引退を撤回すると思うが」リップサービスなのか、ジェリコHCは何度もマスコミにそうコメントをした。ファイナル第3戦で敗れたあと、「新しいチームをよくまとめ、チームをここまで引っ張って来てくれた。人間的にも素晴らしいプレイヤーだ」(ジェリコHC)と本音を漏らし、本当に残念そうだっ
──2000年、日本大学を卒業した永山選手は松下電器に入社(2006年よりパナソニック)。世代にもよるが、関西出身のバスケプレイヤーにとって「松下電器」は憧れのチーム。日本リーグでは5連覇を含む12回の優勝を果たした強豪だ。ただし、彼がチーム入り当時は優勝から遠ざかり“古豪”と称されていたかも知れない。トップリーグでのプレイ歴は14シーズンを数えるが、リーグ優勝の経験はなく、(皮肉な巡り合わせだが)パナソニックの休部が決まったラストシーズンに、オールジャパン制覇を成し遂げた。
「人見知り」と自己分析する通り、口数は少なく、取材の際は苦労することも(!?)あったが、彫りの深いルックスに照れ笑いを浮かべながら、一生懸命に話をしてくれたものである。黙々とプレイする姿はファンを魅了し、チームメイトからは厚い信頼を得た。チーム名が変わっても、「ミスター○○○」と呼ばれ続けるのは、そんな彼の人柄を皆が知っているからだ。
以前、松下電器(パナソニック)が3連覇、5連覇した当時の指揮官で、彼とも一緒に戦った清水 良規氏から「マコと“エース”(A・カスタス)には優勝を経験させてあげたかった」と聞いたことがある。これも指揮官が永山という選手、人物に惚れ込んだからに他ならない(永山選手に関しては、オールジャパン優勝で実現!)
さて、ファイナル第3戦は第3Pを終えたところで東芝神奈川65-35和歌山。いよいよ永山のラストゲームは決定的となった。ハーフタイムのロッカールームでは、「川村が最後はマコさん(パス)いきますから」(永山)と声を掛けてきたそうだ。それまで何度もパスを受けた永山は、これから“和歌山トライアンズ”を支えていく若手にパスをした(ように感じた)。シュートも打ったが、いつも通り淡々と、彼らしいプレイを見せた。
最終ピリオド、残り3.7秒、ラストパスは約束通り、川村からコーナーで待つ永山へ。満員のバスケファン、この時ばかりは東芝神奈川ファンも含め、彼のラストプレイを見逃すまいとコートを注視していたに違いない。
3ポイントシュートは得意だ。何度となくチームのピンチを救い、勝利に貢献してきた。この1本が決まったところで勝敗には関係ないが、誰もが願った通り、永山らしく華麗にゴールネットを揺らして見せた。
……プレス席から見ていると不覚にも涙がこぼれそうになった(何を隠そう、関西出身で全盛期の松下電器の試合を何度も観戦した「松下びいき」だから)。不覚にも、というのには他にも理由がある。ビッグマン2人を欠いた和歌山にあって、#31青野が40分間コートに立ち続けた。ポイントガード、#1木下はレギュラーシーズン同様チームを鼓舞し続けた。時には指揮官と意見をぶつけ合い、ゲームメイクに苦心したこともある。
永山を含めたこの3選手には「松下電器」の香りがする。東芝神奈川#24大西と青野がぶつかり合うと、そこにはパナソニックのユニフォームが透けて見えるような気がした。
試合後、キャプテンとして記者会見に臨んだ永山は、「若い選手に出場の機会を与えてもよかったのに、自分にプレイのチャンスをいただき感謝しています。ファイナルは負けましたが、カンファレンス・ファイナルでアイシン三河に勝つことができ、誇りに思っています」とシーズンを振り返った。会見場を去る時、顔見知りの記者を見つけては「お世話になりました」と挨拶を交わしていた。
その目に涙はなく、あくまで淡々と──数々の思い出がある代々木第二体育館を後にし、一人になってから家族へ電話を入れ、「ありがとう」と言った途端に涙がこぼれた──これはあくまで妄想(笑)
永山選手、本当にお疲れ様でした。そして、ありがとうございました。念のために聞いておきたいのだが、“マコさん、引退を撤回する気はありませんか?”
文・羽上田 昌彦(ハジョウダ マサヒコ)
スポーツ好きの編集屋。バスケ専門誌、JOC機関紙などの編 集に携 わった他、さまざまなジャンルの書籍・雑誌の編集を担当。この頃は「バスケを一歩前へ……」と、うわ言のようにつぶやきながら現場で取材を重ねている。 “みんなでバスケを応援しよう!”を合言葉に、バスケの楽しさ、面白さを伝えようと奮闘中。