「岡田優介」の代名詞と言えば3ポイントシュートだ。モーションが早く、高い打点から放たれるシュートは味方に希望を、相手には絶望を与える決定率と勝負強さを誇る。しかしこのプレーオフ、岡田は3ポイントではなくディフェンスでの存在感を鮮明に印象付けた。
カンファレンスセミファイナルのリンク栃木戦では田臥勇太、カンファレンスファイナルの東芝神奈川戦では篠山竜青。岡田はチームのリズムを作り出す両司令塔を執拗に追いかけ、張り付き、苦しめた。
岡田のポジションはシューティングガードであり、本来ならばマッチアップするのは彼らと同じポイントガードの伊藤大司である。実際にレギュラーシーズンはセオリーどおりにマッチアップしていたが、イースタンカンファレンス1位を争った最終節の東芝神奈川戦で初めてスイッチ。そのままプレーオフでも踏襲した。
ドナルド・ベックヘッドコーチは、岡田にこう尋ねたという。
「連戦となる今年のプレーオフでは、各チームの体力の差、ベンチの層の差が大きく出てくるだろう。これらの点で優位なうちが利を生かしたい。エースや中心プレーヤー、ポイントガードのリズムを少しでも崩すことで、うちのペースを作ってくれないか?」
「チームの中でそれができるのが僕だった」(岡田)。チームのためになるならば、と外角シュートを捨てる覚悟で引き受けた。リンク栃木戦の1戦目では、試合時間を多く残すタイミングで3つ目のファールを犯し、ベックコーチに「もう一度付きたいかどうか、選んでいいよ」と尋ねられているが、そこでも「もう一回やらせてください」と返答し、与えられた役割にこだわった。
リンク栃木戦では、ディフェンスリバウンドを奪って攻撃に転じようとするリンク栃木が起点となるポイントガードの田臥にボールをスムーズに渡せず、攻撃時間がわずかに削られる場面が多く見られた。田臥自身も足にきたのか、オープンショットが立て続けに外れるシーンが目立った印象がある。
ベックヘッドコーチはファイナル進出を決めた第三戦の記者会見で、「岡田のディフェンスとKJ(松井啓十郎)のリバウンドから好調が始まった」とその成果を讃えた。
しかし、リーグ屈指のポイントガード、シューター、インサイドプレーヤーを備え、勢いのある東芝神奈川には通じなかった。あとがなくなった2戦目は「今日は自分が点を取りにいく。多少今までと違うリズムでも決めてこなきゃいけない」と、ポイントゲッターとしての自身を再認識。珍しいミドルシュートを打つ場面もあった。
善戦する時間帯もあったが結果的には完敗だった。試合後、岡田はベンチで長いことうつむき、ミックスゾーンにもなかなか姿を現さなかった。チームカラーのグリーンのパーカーを羽織って報道陣の前に現れると、普段通り冷静かつ的確に質問に答えていったが、その表情はところどころで微かに歪んだ。
ベックヘッドコーチは「サクリファイズ」という言葉を頻繁に使うという。「犠牲」という意だ。このプレーオフ、岡田は自らをチームに捧げ、自らのスタイルを崩してまででも勝ちにこだわった。しかし、それでも頂点には手が届かなかった。
岡田は自身のfacebookページにて、以下のようなメッセージを綴っている。
“スポーツの世界は非情で、都合良くシナリオ通りに行くことは滅多にありません。チャンスは何度もやってこないし、平等にも巡ってきません。一度逃したチャンスは二度と戻りません。100%の準備をしてきても、負ける時は負けます。悔しいけれど、何度も味わってきていることです。そうだとしても、いつチャンスが来てもいいよう、これからも100%の準備をして臨みたいと思います”
2011年ぶりに日本代表候補に選出された。5月16日付で自由契約選手リストに名を連ねた。新たな覚悟のもとで彼が進みだす道を、今後も見守りたい。
岡田選手が会長を務める「日本バスケットボール選手会」は、2014年6月14日(土)、岩手県大船渡市にて「東日本大震災復興支援 日本バスケットボール選手会チャリティーイベント in 大船渡」を開催!
文・青木 美帆
野球部マネージャーだった2002年の夏、たまたま観戦した日立インターハイ(能代工業vs八千 代)をきっかけにバスケットに取り憑かれる。雑誌『中学・ 高校バスケットボール(現在は休刊)』編集部を経て現在はフリーの編集&執筆。かつての自分と同じような競技未経験者に、バスケットの魅力を届けることを ライフワークとしたい。
写真・三上 太