「皆さん、楽しんでいただけましたでしょうか?」
最後の挨拶時、日本バスケットボール選手会副会長の桜井良太選手(レバンガ北海道)が、会場に集まった約400名に問いかけます。周りを見回すと笑顔、笑顔、and スマイル:)
東日本大震災で津波被害に見舞われた大船渡市〜陸前高田市の気仙地区からやって来た子供たちに、「どの選手のファン?」と聞いても答えられなかったイベント開始直後。しかし、最後には選手の名前が出て来ました。子供たちと対戦したドリームマッチで次々とダンクを披露した橘 佳宏選手(つくばロボッツ)と熊谷尚也選手(リンク栃木ブレックス)の名前を挙げる声が多かったです。そして、元気に「楽しかった」と答えてくれました。
選手会として初のチャリティーイベントは、志村雄彦選手(仙台89ERS)と与那嶺翼選手(岩手ビッグブルズ)のbjリーグ選手と一緒にできたことも素晴らしい試みでした。選手名をなかなか挙げられなかった子供たちでしたが、地元岩手のプロ選手は別格。様々なアトラクションが用意されたイベントスペースでは、与那嶺選手のブースは列が途切れることが無かったのも納得です。
東京から新幹線で一関駅へ出て、そこから車で移動。大船渡市へ向かう道中に陸前高田市があり、“奇跡の一本松”を見ることができました。土を運ぶ重機の音だけしか聞こえないような静かな場所という印象を受けます。更地となったこの場所も、東日本大震災が起こる前は住宅地であり、人の声や活気があったはずです。街を丸ごと飲み込んだ津波の威力に言葉を失いました。
今回の会場となった大船渡高校周辺は、幸い津波が来なかったそうです。このチャリティーイベント実現にご協力くださった岩手県バスケットボール協会の藤原 修理事長に、当時の大船渡市の状況について少しお話を伺いました。
「震災後、少し経ってから大船渡に来ました。その時に陸前高田まで南下して行ったのですが、大きな被害が見られず安堵していました。しかし突然、全てが無くなっているような状態でした。大船渡市は南側だけが大きな被害に遭い、その差は本当にハッキリしていました」
その爪痕は今なお、海岸沿いを通ることで見ることができます。実際、お話を聞くまでは最初から何も無かったのではないか、どこまでが津波被害なのか半信半疑でしたが、自然災害による不自然な状況だったことが判明しました。一日も早い復興を願わずにはいられません。
予定より30分延長となりましたが、惜しまれながらも16:30にイベントは終了。選手からも、集まった方々からも、感謝の声を交わす光景が自然と沸き起こりました。
リーグの垣根を越えてNBL選手24名、bjリーグ選手2名が参加したチャリティーイベントは大成功。手を取り合うことで、バスケはさらに進化できることを示してくれたような気がします。
「10月までにリーグを統一しないとFIBAから国際大会への出場ができなくなる制裁が与えられる大変な時ではありますが、選手たちは一緒になって、これからもバスケットを盛り上げていきたいです」
選手が企画し、選手自らが動いて実現したチャリティーイベント。最後に挨拶した桜井選手のこの言葉を聞いて、少し胸が空く思いがしました。全てが終わった後、選手会の会長を務める岡田優介選手から参加選手たちに向け、「みんなの協力のおかげでこのイベントが実現し、すごく手応えを感じています」と力強く話していたのも印象的でした。
被災地もバスケ界も困難な状況が続いています。1日も早く正常化するためにも協力し合うことが大事です。
「1回だけではなく、今後も続けていきたい。すでに選手会としての2年目は始まっていますので、後輩やルーキーたちにもこのような活動をしていることをしっかり伝えていってもらいたいです」と、岡田選手は仲間たちにお願いをしました。
参加した選手たちは、被災地の状況とともにこの活動を報告していただき、東日本大震災とバスケ界に対して何ができるかを考えるきっかけにつなげてください。
バスケ選手たちが主催した復興への希望を感じさせられるステキなイベント。あの場にいられたことを感謝します。
── 今回、一緒に旅をしたHOOP HOPE NIPPONが、ヤフオク被災地支援チャリティーに全参加選手サイン入りTシャツを出品しています。落札金額は全額、岩手県バスケットボール協会に寄付され、被災したバスケットボールチームや選手のために活用されます。こちらも合わせて、ご協力をお願い致します。
泉 誠一