12月17日(水)、JBA会議室A(東京都品川区)において、来季よりNBLに新規参入する広島ドラゴンフライズの「クラブ・プレゼンテーション」が行われました。代表取締役社長・伊藤信明氏から概要の説明があり、初代ヘッドコーチ・佐古賢一氏から決意表明となる挨拶がありました。終了後、佐古HCにお話を伺った中から、その一部を紹介します。
──広島ドラゴンフライズからのオファーを聞いた時の気持ちを教えてください?
佐古HC:ヘッドコーチのオファーは嬉しかったですね。現役引退時にもいつくかお話をいただきました。その時と比べると、さまざまな経験をした上でのお話でしたし、タイミング的に「今」なのかな、と。今回のタイミングはすごく嬉しかったです。日本代表に携わっていましたが、“現場”ではなかったし、周りとの温度差など感じるものがありました。ああしたい、こうしたいという思いはあっても、そこはなかなか難しい面があって……もどかしさがありましたね。
──現場復帰を果たすことになりましたが?
佐古HC:さまざまな思いがあったので、(HCのオファーは)嬉しかったんですが、その反面、整理しなければならないことがたくさんあると直感しました。伊藤社長には「時間はどれくらいいただけるんですか?」とお聞きしました。すると逆に“感触としてはどんな感じ?”って聞かれたんですが、とにかく前向きに検討しようと思っていて、一週間ぐらい時間をいただきました。
──ベンチで指揮を執ったことがないというのは不安要素でしたか?
佐古HC:それは小さいこと。それよりも家族のことや仕事のことを考えました。自分の仕事の予定がどうなっているのか、会社の人間がどう思うのか、とか。今後のことを想定しながら話し合いました。その辺りは不安というか、大きなことでしたね。
──現役引退の決断は、最初に奥様に報告したとお聞きしましたが今回も? 反応は?
佐古HC:今回も一番です。彼女なりに不安なことをいろいろ話してくれました。折茂が北海道で苦労をし、頑張ってきたことを知っていますから、今後のことを伝えた上で、妻の意見を聞きました。ただ、「私が何を言ってもやりたいと思ったらやるでしょ? あなたが決めた通りにやっていいのよ」と。ただ、「家族の思いも理解した上で取り組んでね」って後押ししてくれました。
──家族の励ましを受け、自ら大きな責任を負うということですね?
佐古HC:もともと怠け者なので(笑)、何かを背負ったり、託されたりしたほうが頑張れるんです。糧になるものがあれば、その分頑張れる。背負うものが大きければ大きいほど一生懸命になる性分なんです。そういう意味では、多くの方々からいただく言葉が糧になります。
──お子様たちの反応は?
佐古HC:「行っちゃうの?」って寂しそうな顔をしたのは一番下だけ。その上の男の子は、中学生で野球をやっているだけど、“うぉースゲエ、やったほうがいいよ”って。上の娘たちは冷静で、“じゃあ、またしばらく家にいなくなるのね?”って。以前、単身赴任を終えて戻った時、娘の成長を感じました。お母さんのことをよく見ていて、自分なりに判断するようになっていましたね。
──父の背中を見て成長して行く。今度は居場所がなくなっているかも知れませんね?
佐古HC:それは一番困りますよ(笑)
これまでの経験を生かしたチームづくり
──現役引退時、すぐに現場(アシスタントコーチなど)に携わろうと思っていなかった?
佐古HC:将来的には携わりたいと思っていましたが、一度まったく違う角度からバスケが見たかったんです。例えばリーグ運営のことや日本代表を含めた強化や普及のことなど、自分が実際に携わっていないわけですから、理解できないこともある。自分がその場に居たらどうなんだろう、と考えるようになって興味が出てきたというか……。だからJBLの理事をやらせていただいたり、代表に関わったりしたことは財産になりました。
──その経験は大きかった?
佐古HC:すごく良かったですね。それらを踏まえて、今度はHCということですから、さらに視野が広がる、そんなイメージです。あらゆる角度からバスケに関わることができるとは限りませんが、自分が経験してきたことをベースにし、広島ドラゴンフライズというチームから、日本のバスケにどう貢献できるかを考えることが役割のひとつになります。
バスケを語る人によく言われますが、「佐古賢一は、1年や2年で終わる人間じゃない。佐古賢一は70歳、80歳になっても『バスケの佐古賢一』。つまり、死ぬまでバスケに関わり合うでしょう」って。
だったら、「今ここでの2、3年は何にも無駄にはならない。さまざまなことを経験して、最後の最後で一番いい形でバスケに携わる。それは今年じゃないし、来年じゃないかもしれない。50歳なのか60歳なのかわからない。一生そのポジションは来ないかもしれない。だけど、その準備をするために、今、経験できることをしておかなければいけないよ」って。僕自身、「何もマイナスはない」という考え方があり、それは常に変わりません。
リーダーシップを身につけた選手の育成
──記者会見で「歴史が、ここから始まる」とコメントされていましたが、既存のチームを参考にしたり、先輩HCたちにアドバイスを求めたりは?
佐古HC:チームとして意識したいのはリンク栃木。新規参入を果たしたプロチームが(JBL)優勝までたどり着いたというのはすごいことだと思います。フロントや選手、地域の方の応援体制づくりなど、参考になることがたくさんなります。
また、コーチとしては小浜さん(元孝:いすゞ自動車/日本代表HC)から最も刺激を受けました。どういう時にどういう指導を受けたか、どういう場面でどんな言葉でアドバイスされたのか……恩恵を受けたというか、学んだのは「規律」の大切さ。チームという組織があり、規律がある中で自分の立ち位置を見つけてどう振る舞うべきなのか。自分がリーダーシップを取らなければならないんだと感じ、多くのこと学び取りながらどんどん変わることができました。
22、3歳の選手が最初からリーダーシップを持っているわけがありません。いや、持てません。その素質を持っているかどうかを見極め、その選手を育てようという強い意識が指導者になければ育てられないと思います。
──小浜さんとの関わりで思い出すことはありますか? 今度はご自身がその立場に?
佐古HC:いっぱいありますよ、いっぱいある(笑)おそらくいすゞの試合を見返せば、この試合ではこう言われた、この試合ではこうだったって、今でも思い出せるぐらい。本当にいろいろなことをアドバイスされました。
当時はどうして俺ばっかり、って思ったこともありました。でも、振り返ってみれば、選手を育てるにはそういう厳しさが必要なんだと学びました。選手の素質を見極めるには、あらゆるところに目配りをし、運動能力だけではなく性格なども把握した上で成長をサポートしなければなりません。
最後は本人次第ということもありますから、粘り強く教えて、理解させながら……本人が気づいていないような素質が花開けば、素晴らしい選手になると思います。広島から素質のある選手が育っていき、また広島に戻ってくる、そんなイメージがあります。
野球のように「現場」に戻ったからといってユニフォームを着るわけではない。だが、スーツをビシッと着こなし、ベンチで指揮を執る佐古賢一の姿を見るだけでファンは期待感を募らせるだろう。「広島の歴史がここから始まる」というコメントに重ね合わせ、日本のバスケにとっても新たな歴史が刻まれていくはずだ。
チームづくりが本格化するのは来春から。「ルーキーや移籍リストに載った選手たちなど、できるだけ多くの選手を見て、その中から将来性のある有望な人材を獲得します。とにかく“志のある選手”を獲りたい! スタッフともども志を持って、ゼロからチームをつくり上げていきます」地元・広島のファンだけでなく、日本中のバスケファンがこの気持ちを受け止め、一緒にバスケを盛り上げたいと思う。今後も情報を発信していく予定だ。
なお、「INSIDE NBL 公式ファンサイト」にて佐古HCのインタビュー動画が配信されますのでこちらもご覧ください(一部有料)。
文・羽上田 昌彦(ハジョウダ マサヒコ)
スポーツ好きの編集屋。バスケ専門誌、JOC機関紙などの編 集に携 わった他、さまざまなジャンルの書籍・雑誌の編集を担当。この頃は「バスケを一歩前へ……」と、うわ言のようにつぶやきながら現場で取材を重ねている。 “みんなでバスケを応援しよう!”を合言葉に、バスケの楽しさ、面白さを伝えようと奮闘中。