新しい年が明けた。2015年は日本のバスケットボール界にとって大きな転換点となる。2014年11月にFIBA(国際バスケットボール連盟)から制裁を受け、すべてのカテゴリーにおいて国際活動が禁止されたが、2015年はその解除に向け、具体的かつスピーディーな“動き”が求められる年だ。
一年の計は元旦にあり──「計画は早めにしっかりと立てるべき」という戒めであり、「物事を始めるにあたっては、最初にきちんとした計画を立てることが大切」だという意味である。わかってはいるもののなかなか実行できず、自分自身も大いに反省しなければならないが……。
特別な年、2015年だがこの年末年始もウインターカップにALL JAPANとビッグイベントが続く。ウインターカップが『高校バスケ 頂上決戦!』の場であれば、ALL JAPANは“日本一”を決める大会。そして、この両大会に出場を果たした男子の高校生チームが福岡大学附属大濠高校だ(高校選手権=インターハイの優勝チームに出場権が与えられる)。
涙にくれたウインターカップからALL JAPANでの勝利を目指して
ウインターカップの男子決勝が行われたのは2014年12月29日。福大大濠は連覇を目指す明成を終始リードし、インターハイ、国体の優勝に続いて「高校三冠」が目の前だった。が、残りわずかなところで逆転を許し準優勝。U-18日本代表で、チームを牽引するポイントガード#13津山尚大選手は悔し涙にくれた。
それから3日後の2015年1月1日、津山選手の姿はALL JAPANの1回戦で拓殖大を戦うために駒沢体育館のコートにあった。インカレベスト4の拓殖大学は福大大濠にとっては格上の相手、周りの誰もがそう見ていたであろう。試合は出だしこそ福大大濠が健闘したが、第1Pを終えて19-30とリードされ、その後も点差は広がり68-94の大差で敗れた。
試合後、高校生活最後の公式戦を終えた津山選手にコメントを求めた。その時、想像していたのは「終わった~」と笑顔を見せる、高校生らしい津山選手。同じ高校生に負けたウインターカップの悔し涙はもうない、と思っていた。
“プロ”でやると決めた以上、チームを勝たせることが責任
ロッカールームに戻る前のわずかな時間のインタビューだったが、その目には涙があった。高校3年間を振り返ってもらうと、「高いレベルでバスケができて、とても満足しています」という答えが返ってきた。満足感からの感激の涙なのかと思ったが、やはり半分以上は(負けた)悔し涙だったのかも知れない。
──卒業後、プロの道へ進むのはいつ頃から決めていたのでしょうか?
津山:中学生の頃から強豪チームでプレイすると決めていました。だから高校は大濠に進みたかったし、卒業後はプロへ行こうと決めていました。
──それは沖縄で生まれ、バスケカルチャーに触れていたから?
津山:プロチーム(琉球ゴールデンキングス)が身近にあったこともありますが、郷里の先輩・並里選手に憧れていました。
──高いレベルでプレイするために、自分で意識していたことはありますか?
津山:高校入学からポジション(ポイントガード)を渡すつもりはなかったし、3年になってからは、常に“チームを勝たせること”が自分の使命だと考えながらプレイに打ち込んできたつもりです。
──今日は大学生が相手でしたが、当然、勝つことを第一に考えていましたよね?
津山:プロでやると決めていたので、大学生が相手でも、自分はそれ以上のレベルのプレイをする覚悟で臨んでいました。ウインターカップで負けたのが3日前。悔しかったですし、今日の負けも同じぐらい悔しいです。
──これで、高校生としては最後。これからはプロとして頑張るということ?
津山:ウインターカップ、ALL JAPANで負けた悔しさを心に刻んで、もう今からは“プロ”としての自覚を持って頑張りたいと思います。田中(国明)先生、片峯(聡SOMECITY
・ジャカルタ
・FINAL
3X3
・キミもセカイに!〜ランキング制の仕組み解説〜
→Premier.EXEトライアウト募集
・日本選手権出場チーム紹介)先生をもう一度、胴上げしたかったんですけど、2人にはプロで日本一になる姿を見てもらいたいと思います!」
大した高校生である。津山選手には、何年も前の元旦から一年の計、いや一生の計があったようだ。2015年の元旦は改めてその思いを強くし、より具体的にスタートを切る年になったというだけのこと。もちろん2020年の東京オリンピックも視野に入っているだろう。同世代のライバルたちと切磋琢磨しながら、日本バスケ界の次代を背負うトッププレイヤーへと成長していくのは間違いない。
一年の計は元旦にあり……2015年は、将来の日本のバスケ界にとって大きな成果があった年だと言われるようにしなければならない。2015年を乗り越え、“日本のバスケは変わった”と認められるよう、未来を見据える高校生たちに負けない一年の計(一生の計)を心に刻みたいものだ。
文・羽上田 昌彦(ハジョウダ マサヒコ)
スポーツ好きの編集屋。バスケ専門誌、JOC機関紙などの編 集に携 わった他、さまざまなジャンルの書籍・雑誌の編集を担当。この頃は「バスケを一歩前へ……」と、うわ言のようにつぶやきながら現場で取材を重ねている。 “みんなでバスケを応援しよう!”を合言葉に、バスケの楽しさ、面白さを伝えようと奮闘中。