金メダリストを擁するリトアニアでも、最初からレベルの差は分かっていた
── アメリカと対戦するチームは記念試合のように試合中に写真を撮ったりするような状況でしたが、実際に対戦したコート上はどんな感じでしたか?
ディマビシャスAC:当時はリトアニアに限らず、どのヨーロッパのチームもNBA選手と対戦するのが初めての経験でした。やはりアメリカ代表選手たちはテレビの向こう側にいた存在でしたので、みんなが興奮しているような雰囲気がありました。アメリカ戦は戦う前からレベルの差を全員が分かった上で迎える試合でした。参加することに意義があるのがオリンピックでもあります。NBA選手たちと試合ができること自体を光栄に思う雰囲気が全体的にありました。
── 旧ソビエト連邦はソウル五輪で金メダル獲得し、アルビダス・サボニス(221cmの長身ながら3Pもある器用なビッグマン。当時、アメリカとは冷戦状態だったためにNBAにドラフトされても行けずに全盛期を過ごす。ようやく1995年にポートランド・トレイルブレイザーズでNBAキャリアをスタートさせ2003年までプレイ。現在はリトアニアバスケットボール協会会長を務める英雄)ら多くの旧ソビエト連邦の選手を擁するリトアニアとしては2連覇へ向けて強い意気込みがあったのかと思っていました。
ディマビシャスAC:1991年にソビエト連邦から独立し、初めてリトアニアとして出場したオリンピックでした。リトアニア代表の一人としてオリンピックの舞台に立てること自体が大きなモチベーションでした。また、パトリック・ユーイングやデビッド・ロビンソンなどスーパースターと同じコートに立てることもモチベーションになっていました。
── 予選リーグの中国戦(11分/2得点/2リバウンド)と準決勝アメリカ戦(13分/2得点/1リバウンド)しか出場していませんが、当時はどのような立場だったのですか?
ディマビシャスAC:あの頃の私はまだ若く、サボニスをはじめとしたスーパースターがいっぱいいたので、なかなかプレイタイムをもらえるには難しい状況でした。
── アメリカ戦ではワンサイドゲームになった後半に再び投入され、好き放題やられた試合となりましたが、どんな気持ちでコートに立っていましたか?
ディマビシャスAC:あれは忘れられません。30点以上離された状況でした。それでも、NBA選手とともにプレイすること自体がすごく楽しかったです。
日本にも世界で通用する可能性を感じる選手はいる
── 銅メダルを獲得したバルセロナオリンピックでしたが、一番の思い出は?
ディマビシャスAC:料理が美味しかったことです(笑)それは冗談ですが、全てが素晴らしい経験でした。オリンピックの空気、バスケに限らずアスリートのスーパースターたちが目の前におり、本当に貴重な経験をさせていただいたし、全てが良い思い出になっています。
── 80年代、旧ソビエト連邦は親善試合のためによく来日しており、私も中学生の頃にサボニスを目の前で見たことは大切な思い出となっています。ディマビシャスACも現役時代に来日した経験はありますか?
ディマビシャスAC:日本はもとより、アジアに来たことが初めてです。
── 日本のバスケットのレベルをどう感じていますか?
ディマビシャスAC:初めて日本に来ましたが驚かされることも多いです。もちろんまだ来たばかりであり、シーズンも途中なので全てを把握したわけではありませんが、何人かの可能性を感じる選手がいます。今すぐと言うよりも、将来的に良くなって行く可能性をすごく感じている国です。
── 海外のリーグで活躍できそうな選手はいますか?
ディマビシャスAC:もちろん、世界でも通用する選手はいます。ただし、トップリーグですぐに活躍できるかと言えば、それは難しいと思います。まずは一つ下のリーグから始めた方が良いという前提はありますが、可能性ある選手はいます。日本と同じように主力としての起用方法ではないでしょうが、竹内兄弟(公輔選手/トヨタ自動車アルバルク東京、譲次選手/日立サンロッカーズ東京)はヨーロッパでプレイできる可能性を秘めています。ブレックスにも数名いますが、自分のチームなので個人名は控えさせていただきます。