自分に変化をつけたい!川村卓也を取り戻すチャレンジ
アメリカに行きたい気持ちがあった川村に対し、今年の4月初旬、意思疎通するように連絡をした鴨志田氏。「川村くんに連絡するのは、本当に1年に1回程度」と言っていた鴨志田氏だが、待ってましたとばかりにその話に川村は乗り、そしてアメリカ行きを決めた。しかし、「自分に変化をつけたい」と、リンク栃木を去ることに関してはもう少し前に決断をしていたそうだ。
「昨シーズンのチームスタイルは、オレが20点を獲れば良いわけではなく、逆にそれは好まれない。チーム全員でボールをシェアするスタイルの中で、オレはどうすれば良いのかと悩みました。パス回しに徹してみたり、いつも通りシュートを打ったり、いろいろと試してみたものの結果的に黒星が続き、このスタイルがオレに合ってるのかなと思い始めたわけです。これまでオレは点数を獲ることだけを評価されて、JBLでの8シーズンがありました。オレから点数を獲ることを取ってしまったら何にも残らない。自分はそこを追いかけているから自分らしさも出せたわけで、パスを重点的にやってくれと言われても、即座に対応できなかったのはあります。それは見ている多くの方も感じていたと思います」
リンク栃木を去り、NBAへ挑戦することは、同時に失っていた川村卓也を取り戻すことでもある。
「昨シーズンを過ごして、忘れかけている自分がいます。何を武器としてここまでバスケットをして来たんだっけかな、と。やっぱり得点を獲る、常にゴールを目指すことが、バスケットを始めてからずっとやって来たことなんです。そこにさらにプラスアルファしていくことが、今回の挑戦です。自分が評価される点はシュートしかない。それは4年前もそうだったし、それ以外に強い部分は何もない。足りない部分があればトレーニングでコーチが指摘してくれます。それを逃げ場の無いアメリカでトライすることこそが一番意味のあることです」
その先に見えるNBAのコートに立つ自身のビジョンも明確だ。
「NBAに入ったとします。そこでのプレイタイムはたぶん5分程度しかない。きっとコーチから、お前はノーマークになると思うからシュートを打てと言われることはイメージしています。どうせオレなんて相手ディフェンスから切り捨てられて、”ど”フリーの状態になるとも思います。その時にしっかり確率良く決められる選手になることが、求められることでもあります。日本みたいに40分間コートに立って、ピック&ロールやって、パスさばいて、シュートを打ってというのは全く求められていない世界です。だからこそ、必要なことを必要以上に磨いて、足りない部分はアベレージまで引き上げることが大切になります。楽しみですね」
エージェント=マネージャー。覚悟と責任を備えた2人で挑むNBA
インタビュー中、”楽しみ”という言葉を川村は頻繁に使っていた。それだけ今回の渡米に対し、覚悟を決めていることがヒシヒシと伝わってくる。
「もう今のオレには何も無いからです。4年前は日本代表を辞退したり、チームとの契約もあって、気持ち良く日本を出ることができませんでした。全てオレが悪かったのですが、その経験も含めて今の自分が成長した部分です」と胸を張る。
覚悟を決めたのは川村だけではない。サラリーマンとして生活していた傍らでエージェント業を行って来た鴨志田氏は、今回の挑戦のために会社を辞めた。
「選手が本気でやるのであれば、自分も生半可な気持ちではダメだと思い、できるサポートは全部やろうと、そう考えたら会社を辞めて帯同しようとなったわけです」。エージェントの仕事は、契約面が一般的に知られているが、「マネージャー業に近い」と鴨志田氏は言う。
主な仕事として、「ひとつでも選手のストレスを軽減でき、ひとつでも代わりにできることがあれば手伝うし、バスケット以外に使うパワーは僕が行い、バスケットに100%専念させて少しでも良い結果をつかめるようにすることです。日本の環境であればそんなことをケアする必要もないですが、海外に行く場合は、食事や言葉など全てにおいての生活面が大きく変わって来ます。4年前の川村くんはホームシックになってしまったわけですが、それは必然的なことであり、一番ストレスが溜まる部分でもあります。それをケアすることが今回の僕の仕事であり、川村くんをフルサポートしようと思った一番のきっかけです」
鴨志田氏は、bjリーグの外国人選手のエージェントも行っている。日本に来る外国人は異国の地でプレイするわけであり、生活習慣など勝手が違う。今回の川村をサポートするのと同じように、外国人選手たちが日本で生活するための身の回りのケアなども行っており、それが鴨志田氏のエージェントとしてのスタンスでもある。
8月には結婚式を控えているという話を、一緒に二人を見送った鴨志田氏の奥様がしてくれた。それは奥様も泣くわけだ…。
しかし今では良き理解者となり、川村に大きな期待をかけて見送っていた。そして、川村にもまた家族がいる。
「嫁が背中を押してくれたから自分の中で決心がついた部分はありますし、レギュラーシーズンからずっとそうでした。あんたはもっと違う環境でやりなさい、と背中を押し続けてくれていました。自分の考え方も常にここ(日本やリンク栃木)だけじゃないというイメージを持っていられたのも、常日頃から言われて来たからだと思います」。2歳になる愛娘のことに話を向けると、「最近、練習に行くと言うと、寂しい表情を見せるようになったんです」と眼を細める。
それが今回のホームシックの原因になるのではないかという不安が過ぎる。「4年前はスカイプというものを知りませんでした。今は便利な世の中ですから、どうにかなるんです。もちろん実際に会えないのは寂しいですよ。これまで長く離れたこともなかったですし。成長時期に一緒にいられないのは親としては切ない部分もありますが、成功すれば6倍くらいになって帰って来られるわけですからね。がんばります」
守るべき人がいるからこそ夢中でがんばることができ、強くなれるものである。覚悟とともに責任もしっかりと備わっていた。
アダム・ウィルソンはコビー・ブライアントも頼りにする敏腕トレーナー
アメリカでのスケジュールは、「最初の2週間はバスケットボールスキルトレーナーとバスケットに特化したトレーニングを行います。まずは体作りをしながら、現地の環境に慣れるようにします。6月末から7月初旬にNBAのチーム関係者に個人トライアウトを行い、しっかり評価してもらって最低でもサマーリーグのロスターとして入れることが最初のミッションであり、そこは通過点です」と鴨志田氏。4年前と同じく、アダム・ウィルソン トレーナーが川村をしっかりサポートし、強化してくれる。
「アキレス腱を切ったコビー・ブライアントが、オフシーズンにトレーニングをする時はアダムのところでやるつもりだ。復帰するためにも彼の力が必要になる、と言うくらいのすごいトレーナーです。ガードの選手を中心に、ドリブルなどのスキルを教えるのが上手いですが、それ以上に選手の追い込み方がすごいです。メニューは激しいですが、選手がやらざるを得ない環境を作るんです。ヤダと言えないほど、選手たちはやってる時は夢中になっており、そして終わると尋常じゃないほど苦しいトレーニングです。あの追い込み方は本当に上手いです。川村くんはすでに体験していますが、端から見ていても辛い。bjの選手も何人か参加させたことがありますが、2日間くらいで筋肉が張りすぎてリタイアしました。ツーボールのドリブルとか…」とウィルソン トレーナーについて鴨志田氏に話を聞いていたら、川村が割って入ってきた。
「ツーボールのドリブルが一番ヤバい。その後シュートが打てないほどです。ボールが飛ばないんですから。でも、それがパワーになるんです。そう考えると、やらなきゃいけないんですよ。辛い時にうまく力を抜くという常套手段があると思いますが、アダムの場合は一切抜けないです。マンツーマンですからね。辛いです。ドリブルだけでこんなキツいの?って思うほどすごいです」。日本人選手がNBAに行くためには、すでにNBAでプレイしている選手以上の努力は不可欠である。