10月23日(木)13:16。JBAから「平成26年度 臨時理事会に関する記者説明会のご案内」が届く。筆者がそのメールを開封したのは14:00手前。そこに記された説明会開催日時は10月23日(木)15:30。あと1時間半しかない。
仕掛かっていた仕事を投げ出し、慌てて用意して会場へ向かう。
15:28、何とか間に合う。すでに多くの報道陣がいた。
開始予定の15:30になったが、登壇者は現れない。馴染みの記者たちと情報を交換していると、会長辞任の話が出た。この説明会は、FIBAへの回答期限である10月末日を見据え、統一プロリーグへ向けた進捗を聞けるものだと思っていただけに、頭の中が混乱する。ネガティブな意見が飛び交う場内。別の部屋では臨時理事会が続いており、幾度となく説明会の開始が遅れるというアナウンスが続く。待つ間に投げ出していた作業を進め、そして終わらせることができた。
突然のJBA深津会長辞任
17:50。当初の開始時間から遅れること2時間20分、ようやくJBA深津泰彦会長だけが現れ、辞任した旨を説明し始めた。その理由としては、FIBAから指摘されている「JBAのガバナンスの確立」「男子日本代表の強化」「2リーグ併存状況の解消」の3つ問題点のうち、「2リーグ併存状況の解消」に関しては期限とされる10月末日までに合意できる見通しが立たず、十分な方向性を示せないことで、その責任を取る形で辞任の運びとなった。残る2つの問題に関しては、継続的な課題として報告し、FIBAからも了承が得られるまでまとまっていると言う。
“あきらめたらそこで試合終了ですよ”というスラムダンクの名言が頭を過ぎる。志半ばであり、FIBAへの回答期限までまだ8日もあるにも関わらず、タイムアップのブザーを聞く前にあきらめてしまった。引責辞任というよりも、さじを投げたと思わずにはいられない。
2013年1月、麻生太郎元会長の金融大臣就任に伴い、当時副会長であった深津氏が会長職務代行としてトップに立つ。2014年6月に正式に会長に就任するが、麻生会長体制だった時から中心となって活動してきた功績がある。統一プロリーグ化へ向けたこの3ヶ月間は、NBLに所属する企業チームへの理解を求めるために奔走してきた。その結果、企業チームもリーグのプロ化に賛同するまでに至る。
統一プロリーグへ向けた障壁となっているのが、チームの運営法人設立とチーム名称に企業名を入れない点である。「NBLには5社の企業チームがありますが、全てが理解しているわけではなく、引き続きお願いをしていくことになります。一方、プロクラブチーム側にも、一定の歩み寄りや理解をしてもらわなければならない点もあります」と現状を説明。話がまとまらないもう一つの点は、統一プロリーグが一般社団法人として立ち上がった時に、今ある株式会社日本プロバスケットボールリーグの処遇について。一つのリーグになっても、2つの運営基盤がある構造はいかがなものか、と思わざるを得ない。NBLは統一プロリーグへ向けた準備室的に発足したわけだが、TK bjリーグはすでに10年続いており、統一により消滅させるわけにはいかないだろう。統一プロリーグ誕生後は、「ある業務を手伝ってもらうスキームを考えて準備はしています」と話していた。その内容がしっかり決まっていないため、まだまだ協議が必要である。