そして、代表活動で得たものを広島に持ち帰り、良い効果を生もうということも山崎は意識する。アイラ・ブラウンやワース・スミスとの短期契約が延長されず、満了で退団したということは、ドウェイン・エバンスや河田チリジといった故障者が戻ってくる日も近いということ。山崎ら代表組も一回り大きくなってチームに戻り、昨シーズンの優勝の立役者が揃い踏みすれば、広島の反転攻勢の芽も見えてくる。
「チームとしてもこれを良いきっかけにしていきたいと思いますし、今回選ばれて試合でアピールできれば、またいろんなチャンスにもつながっていくと思うので、僕自身もこれをきっかけの一つとしてステップアップしていきたい。今はバイウィーク中でファンの皆さんもなかなかバスケットを見られないし、僕らも序盤はケガ人がいて全員が揃わない、苦しい展開だったんですが、バイウィーク明けにはみんなが揃うはずなので、そこからは勝っていく姿を見せていきたいですね」
山崎がアメリカから帰国し、日本でプロキャリアを歩み始めたのが2013年。当時のbjリーグの地元クラブ、埼玉ブロンコスでのことだった。その後バンビシャス奈良を経て、富山グラウジーズでの2シーズン目がBリーグの初年度。そのBリーグも早9シーズン目を迎え、山崎がデビューした当時のbjリーグを知る現役選手は当然ながら年々減ってきている。
優勝クラブの一員としてチームメートとともにBリーグAWARD SHOWに出席した際、筆者はこれまでの自身のキャリアについて尋ね、山崎はそれに対して「今までやってきたことがなければこういう結果も得られなかったし、確実にステップアップし続けてきたからこそで、全てが今につながっている」と答えていた。今回の代表合宿でそのキャリアについて改めて問うと、「ちょうどこの間、そういう話になったんですよ」という返事が返ってきた。
「bjリーグ出身の選手でまだ現役でやってる人ってどれくらいいるんだろうって、妻と話しながら思い起こしてたんです。だんだん少なくなってきて、その中でも今もいる選手と比較すると、岸本(隆一、琉球)さんはbj時代から何回も優勝してすごい活躍をされてますが、そこに自分が踏み込んでいけることはすごく喜ばしいことだなって思いますね。bjリーグ時代の埼玉、奈良、富山と応援してくれる方がたくさんいらっしゃいましたし、チームが移り変わってもずっと変わらずに応援してくださる方もいるので、こうして代表に名を連ねることもまた一つ喜ばしいこと。今後も続けて名前が呼ばれるように頑張っていきたいです」
当時のbjリーグからプレーし続けている選手の中では、冒頭で山崎自身が「箔がついた」と言っていたように、トップクラスの素晴らしい成果を挙げた選手となった。これは、bjリーグ時代から日本のバスケットを追いかけるファン・ブースターにとっても、誇らしいことであるに違いない。プロキャリア12シーズン目、32歳という年齢は日本代表では年長者の部類かもしれないが、現役選手としての道のりはまだ先が長い。代表活動の経験も加わり、その存在価値はさらに増していくはずだ。
文・写真 吉川哲彦