最初のBリーグ U15 チャンピオンシップ 2017に出場し、第76回全日本大学バスケットボール選手権大会(インカレ)で活躍し続ける選手を紹介してきたラストは、明治大学4年 #7 伊藤治輝。U15横浜ビー・コルセアーズの一員として、田中力(現・熊本ヴォルターズ)や進翔太(現・青山学院大学)とともに、185cm前後とチーム内では大きな選手だった。さらに10cm以上伸び、今では197cm。Bユースがプレーの幅を広げるきっかけを与えてくれた。
「中学時代にアウトサイドシュートを打つ機会を与えてくれたことに感謝」
今年のインカレは日本大学が15年ぶりに優勝し、幕を閉じた。関東10位の明治大学も一発勝負のトーナメントで日本一を目指し、仕切り直して準備して来た。しかし、グループステージを突破して勢いづく拓殖大学に60-63で敗れ、1回戦敗退。4年生の伊藤にとっては、予期せぬ早々の大学バスケ引退を突きつけられた。
「ここで負けるとは思っていなかったですし、チームとしての目標が日本一でした。リーグ戦後半は1勝しかできなかったですが、最終的にインカレで優勝すれば良いとチームを鼓舞し続けてきたつもりだったんですが……」
これまでの3年間はベスト16に終わっている。その壁を突破し、日本一へと駆け上がる計画だったが、「ベスト16にも届かず、1回戦敗退で終わってしまったのはもちろん悔しいです。何より、後輩たちを上の舞台へ立たせてあげられなかった責任が大きいと思っています」と肩を落とす。
グループステージ最終戦を待たず、2連勝した拓殖大学との対戦が決まった。組み合わせが決まったときから、拓殖大学が勝ち上がって来るのも想定内だった。「もっと上を目指していたので、次の日体大対策をかなり重視していました。その分、拓殖大学のスカウティングを怠ってしまい、もう少し完璧におさえられる部分もあったと思います」と足元をすくわれてしまう。試合後のロッカールームでは、「悔しいというより情けない方が大きい。もちろん勝てなかったのは4年生の責任。来年はもっとチャンスがあると思うので、日本一を目指してもらいたい」と後輩たちへバトンを渡し、伊藤は次のステージへ進む。
インカレでは3ポイントシュートを打つ機会もないほど、身体を張り続けなければならなかった。しかし、関東大学オータムリーグでは戦況によって積極的に放ち、そして決めている。10月20日の中央大学戦では5本放って3本成功させ、平均試投数は3.4本。中学時代からチーム内では大きかった伊藤だが、U15横浜BCをきっかけに3ポイントシュートを打ちはじめる。
「当時の白澤(卓)ヘッドコーチ(現・横浜BC U18ヘッドコーチ)が自分をよく試合で使ってくれて、1番大きかったですが外のシュートも打たせてくれました。そのおかげでスリーポイントも打てるようになり、自分の武器ができました。今後のプロでは3番ポジションを目指す中で、中学時代にアウトサイドシュートを打つ機会を与えてくれたことに感謝しています」
中学時代は市大会1回戦敗退、部活動を引退する時期に高校から推薦の話もなかった。しかし、U15横浜BCでプレーしたことで、神奈川の強豪・桐光学園から声がかかる。チームメイトの進とともに、「ツインタワーとしてチームを引っ張っていました」と開花する。明治大学での4年間は「留学生がいない中で、相手に留学生がいるチームに勝つことが楽しかったし、うれしかったのが一番の思い出です。これから目指すBリーグでは常に外国籍選手が2人いる状態であり、アウトサイドシュートを武器にして戦っていきたいです」とU15横浜BC時代に見出されたシュートに磨きをかける。プロ入りへ向け、ふたたび意識を変えなければならない。
「明治大学の中では大きい方でインサイドやミドルショートが多かったですが、もちろんプロに行けばゴール下で簡単にシュートを打てるわけではないです。スリーポイントのアテンプトも増えると思うので、そこを意識した練習の仕方や環境も変わっていきます。スリーポイントシューターとして目指す選手像は、吉井(裕鷹)選手(三遠ネオフェニックス)。ここからまた練習していきます」
Bユース1期生たちが挑む大学バスケ日本一
・U15西宮ストークス出身・森山陽向(白鷗大学4年)の場合
・広島ドラゴンフライズU15出身・泉登翔(日本大学3年)の場合
・U15横浜ビー・コルセアーズ出身・伊藤治輝(明治大学4年)の場合
文・写真 泉誠一