「地域差が神奈川の育成の課題だと言われていて、選手が高校に上がると県外に出ていってしまうというのもあったりするんです。でも、今県内でも頑張ってる先生はいっぱいいるんですよ。逗子や横須賀、葉山、寒川は出身のBリーガーがいるんですが、鎌倉はまだ1人もいないので、目標としては男子でも女子でもプロ選手が出てきてくれればと思って活動してますし、昨日と今日来てくれた子の中からも出てきてくれると嬉しいですね」
上林の言葉に度々名前が出てきたように、このクリニックは宮田が全面的に関わっている。宮田の存在があってこそという側面もあり、必然的にその責任は重く感じられそうなものだが、宮田にはこういうクリニックやイベントを少年のように純粋に楽しめるメンタリティーがある。
「申し訳ないことに僕が一番楽しんでます(笑)。このためにプロをやってるわけじゃないんですが、プロとして応援してもらえる醍醐味ってこういうことだと思うので、1年に1回、毎年呼んでもらえるのを楽しみにしてるんです。基本的にバスケットに関わるのが好きだし、友達や助けてくれる仲間もバスケットを通して作ってきたので、少しでも人を助けたり手伝える側になるのがありがたい。そういう役割をいただけるのも今のうちだと思うので、今しかないこの時間を楽しまないと損だなと思ってます。僕は1年2年でプロキャリアが終わると思ってて、それがあと1年あと1年と目一杯やってきて今に至るんですが、大して上手くないのにただ大好きというだけでやってるおじさんを応援してもらえてるので、こんな僕でも子どもたちにも何か伝わるものがあればと思ってます」
当然のことながら、クリニックは若年層の育成が主目的であり、それを経て地域のバスケット熱が醸成されるという競技普及の色彩も帯びる。その中で宮田は、コーチとして参加する選手・スタッフにも大きなメリットがあることを強調する。
「バスケット界にはいろんなバックボーンの人がいて、鎌倉のクリニックはそういう選手やスタッフのネットワークもできてて、お互いを知って助け合えるという良いきっかけになってるので、彼らにとっても良い場所になってるんです。年1回ですが、これに限らずそのつながりを大切にしていければいいなと思ってますし、僕と西山が元気なうちに同じ考えの人をもっと巻き込んでいきたいです」
宮田が名前を挙げた西山は横浜市の出身だが、小学校5年生のときに上林が指導するチームに入り、その後は宮田からの誘いでプロキャリアを歩み始めたという縁がある。そして、宮田が在籍していた東京エクセレンスが横浜に移転してきたことは、上林にとっては大きな転機だった。その後宮田は東京Uに移籍してしまったが、一時他クラブでプレーしていた西山が入れ替わるように横浜EXに復帰している。このクリニックを続けている間に日本のバスケット界も大きく発展し、上林も「子どもたちが見る機会、触れる機会がすごく増えている」と実感する一方で、「2人が近くにいてくれて、いろいろ協力してくれているのが本当にありがたい。この流れが続くように、2人には1年でも長く現役を続けてもらわないと」と笑顔で語る。もちろん、「選手を呼ぶのは今のところ宮田さんにおんぶに抱っこですが、僕もそんなに若くないし、この形を次につながないといけない。それも含めてバスケットは継続性が大事なので、こういうことを毎年やっていける枠組みを持ちたい」と将来も見据えた上での話だ。