高校の師弟関係がプロの舞台で復活するのは珍しい例だが、枝折HCによれば「山口県を盛り上げるために、やっぱり地元の選手がいたほうが少しでも集客が増えるかなというのもありましたし、彼はB1とB2でプレーしていたので、高いレベルの良さを自分も学びたいと思って、彼に『山口でやってみんか』と話をしました」というのが喜志永とのタッグ再結成の経緯だ。枝折HCのフィロソフィーに基づいたバスケットスタイルを根づかせる上で、喜志永が重要な存在であることは互いに理解。特に喜志永は「やっぱり先生のバスケットは僕が一番知ってるし、一番体現できるのも僕だという自信がなければやれない。みんなに対して考えを提供する、共有するのが僕の役割で、ポイントガードが舵を取らなきゃいけないこともわかってるので、プライドを持ってやってます」と自負が強く、そこには枝折HCへの感謝がある。

「この1年どこでプレーするかを考えたときに、いろんな選択肢はあったんですけど、この2年間思うようにプレーできなくて悔しい想いをした中で、怪我さえなければどこでもプレーできると周りにも言われましたし、自分も自信はありました。自分のことを一番理解してくれてる人の所でバスケットをするのがプラスになるし、知ってくれてるからこそ、他とは違う声かけをしてくれる人。高校時代に僕が天狗になってたときに鼻を折ってもらって、U18日本代表にまで育ててもらった恩師に対する信頼は本当に強いですね」
言うまでもなく、枝折HCの喜志永に対する期待は大きい。同じく教え子である佐々木隆成(三遠ネオフェニックス)や中村功平(茨城ロボッツ)がB1で活躍し、県出身の河村勇輝が世界に羽ばたいた今、そのエッセンスを喜志永と共有しながら高みを目指して進んでいこうとしている。
「また一緒に戦える喜びもある反面、もしかしたら彼に対しては『もっとやれよ』というのもあるのかなと思います。より高いレベルを見てきた人間でもありますし、彼にはできると思っているので、もっと高いレベルのゲームでチームを勝たせる選手になっていくことを彼には要求していきたいと思ってます。チームの中の1人という存在にとどまらず、もっと余裕を持ってチーム全体を見渡してほしいというのがありながら、自分も河村勇輝や中村、佐々木の話を聞いてきた分、『勝たせるガード』という部分でお互いにコミュニケーションを取って、それを山口パッツファイブに還元できればと思います」
その期待を背負う喜志永は、「『常に謙虚に』ということを教えてくれて、今の自分の人間性を作ってくれたのも先生」とバスケットを通じて内面も磨かれた実感を持つ一方で、「高校時代は目標を達成できなかった」という後悔の念も残っている。2人が再び同じ道を歩み始めて、まだ日は浅い。喜志永は新たな目標を胸に、自身が思い描く未来に向かって一歩ずつ進んでいく決意だ。

「勝って先生を泣かせたことが今までないというのが本音。それが僕の仕事というのは高校のときからずっと思ってて、偉そうなことを言えば、僕がそこに導きたい。今シーズンもまだそんなに勝ってないんですけど、チームの目標はプレーオフで、そこでどこまで戦えるかというのをチームとして作っていかないといけない。長い道のりですけど、それが僕にとっての恩返しの一つなのかなと思います。勝たせるポイントガードになるためにはどうしたらいいのかというのをもっと高いレベルで追求して、最後は先生が泣くというのを成し遂げたいと思ってます」
文・写真 吉川哲彦











