「自分たちの代になった矢先、ここからというときに腰を怪我してしまって、自分たちの代ではほとんどプレーできなかった。最後の夏にギリギリ間に合ったんですけど、不完全燃焼で、1回は『もうバスケはいいかな』と思ったんです。でも、僕が高校3年の年ってちょうどbjリーグが立ち上がるときだったんですよ。そのトライアウトもあるということを知って火がつきました。やってやるぞという希望がある中での怪我だったんですけど、ある程度自信もあったので、高校を卒業してすぐにトライアウトを受けに行ったんです」
プロバスケットボール選手の社会的価値が今ほど確立されていない時代に、その道を選ぶことは勇気の要ることだ。長い人生をトータルで考えれば、安定した道を進むのがごく当たり前の選択。それでも亀﨑HCは自身の可能性に賭け、道を切り拓いた。本人は「切り拓くという感覚はあまりなかった」と言うものの、プロを目指す後進の道標となる生き方であることは間違いない。

「最初は親にも反対されました。普通に大学に行って就職しろみたいな話もされましたけど、僕が諦めきれなくて、最終的には応援してくれたんです。誰も先のことはわからないと思いますけど、夢があるのであれば諦めないで進んでいってほしいと思いますし、自分を信じて、自信を持ってやっていってほしい。僕も変な自信だけはあって(笑)、それで突き進んでいった感じだったんですよ。自分のことは自分が一番信じてあげないといけないと思うので、もしそういう方がいれば僕と同じように道を切り拓いていってほしいですね」
そこから15年ものキャリアを過ごすことができたのは、言うまでもなく亀﨑HCの実力と努力によるものだが、ここまで長い選手生活になったことも、HCにまで登りつめた今があることも、理解を示した両親を含めて多くの支えがあったからだということを、亀﨑HCは強く実感している。
「振り返るとあっという間ですけど、選手としての15年でもいろんな壁にぶつかったし、大きな手術とかも経験しながら歩んできたんですけど、その都度支えてくれる人がいて、応援してくれる人もいて、なんとか15年というキャリアを積んでこられたのは恵まれてたなと思います。それはコーチになってからも同じで、このチームで引退できたことも嬉しかったですし、コーチになったことも、HCにまでなれたことも本当に恵まれてるなと思います。周りの人の支えがあったからこそ、自分はここまでできてるんだなと思います」
多くのクラブを渡り歩いてきた中、選手として最も長く在籍したのが東京八王子。酸いも甘いも味わった5シーズンを経て、選手からコーチへと新たな一歩を踏み出し、今シーズンはさらに大きなステップを踏んでいる。東京八王子だからこそ、亀﨑HCは充実したバスケットボールキャリアを重ねることができているのだ。

「本当に感謝しかないですね。キャリアの終盤に差しかかって、来年どこでプレーしようかって考えたときに、やっぱり最後は強いところでやりたいと思った中でトレインズと縁があって、B3優勝やB2昇格もして、いろんな経験をさせていただきました。引退した後もコーチをやらせていただいて、HCをやりたいという目標ができて、その最初は必ずこのチームでと決めてたんですけど、今こうしてHCになることができて、順調なスタートを切れて良い形でチームが進んでいってる。それはチームのみならず地域の方やブースターの方の応援があってこそなので、感謝の気持ちを忘れずに、これからも皆さんと一緒に、この八王子のために戦っていければと思います」
文・写真 吉川哲彦











