これからのバスケット界のために
思えば、いつだってバスケに夢中だった。「プロ生活の95%は悔しさ」と答えたことばに嘘はなく、授与されたBリーグ功労賞を光栄に思いつつ、一方で「自分は賞に値する選手だったのか?」と自問したのも事実だ。心の中には「俺はもっとできたはず」という思いが未だにしつこく居座っている。周りが何と言おうと、それは “プレーヤー岡田優介” 本人にしかわからない悔しさ、淋しさなのだろう。だが、岡田が積み上げてきたキャリアに今一度目をこらせば、確かに見えてくるものある。不変の深いバスケ愛、あるいはバスケ愛に裏打ちされた揺るぎない信念。ことばにすると大仰に響くが、おそらくそれが原動力。岡田の背中を押し続けてきた力に違いない。
その意を強くしたのは7月25日、関係者を集めて開催された選手会サンクスパーティーの席だった。初代会長として登壇した岡田が語った選手会設立時のエピソードには、先輩たちへの感謝があふれ、同時にバスケ界で生きる自身の指標が示されていたような気がする。スピーチの印象深い部分を一部割愛してまとめ、以下に掲載しておきたい。
「2013年に選手会を立ち上げたとき、バスケ界の現場は2つのリーグに分かれ、いろんな問題を抱えていました。その中で選手会をつくる。その構想の話が出たとき、先輩たちが言ってくれたことばが忘れられません。『設立する選手会が今すぐ俺たちの環境を変えるとは思えない。だけど、これからの選手たちの環境を良くすることはできるはずだ。俺たちはたくさんの後輩たちのため、さらにはその先にいる子どもたちのための選手会をつくろう。みんなでいいバスケ界にしていこうじゃないか』。選手会は先輩たちのそんなことばからスタートしました。もしかしたら若い選手たちは知らないかもしれませんが、そういう先輩たちがいたからこそ今の選手会があり、今のバスケ界がある。僕はそう思っています」
思えばいつだってバスケに夢中だった。たとえ95%の悔しさが残るバスケ人生だったにせよ、自らが決めた “延長戦” を最後まで全力で戦い抜いた自負はある。選手として臨んだ場所には届かなかったが、歩みを止めた日はなかった。定めた目標に向かってコツコツコツコツ。それはいつかの鉄人中学生が校庭に刻んだ足跡にも似ている。自分を信じてコツコツコツコツ。あきらめることなくコツコツコツコツ。そして、これからは違うフィールドで新たなコツコツコツコツを積み上げていくのだろう。
子どものときに夢中になったバスケットは変わることなくそばにいて、ずっと一緒に歳を取り、コートを離れた今もやっぱり岡田を夢中にさせている。
岡田優介 引退に寄せて
いつだってバスケに夢中だった
(1) https://bbspirits.com/bleague/b25082501okd/
(2) https://bbspirits.com/bleague/b25082602okd/
(3) https://bbspirits.com/bleague/b25082703ysk/
(4) https://bbspirits.com/bleague/b25082804ysk/
文 松原貴実
写真 吉川哲彦、B.LEAGUE