「もう一度日の丸を付けることですね。3年ぶりの日本代表復帰はまだあきらめていませんでした。プレーオフでベスト4、あわよくば決勝進出まで勝ち進めれば、そしてそこで自分が日本人スコアラーとしての力を見せつけることができれば代表復帰も不可能ではないというシナリオを密かに描いていました。クォーターファイナルで当たるアルバルク東京とは相性がいいし、いや、これはマジでワンチャンあるぞって(笑)」
ところが、このプレーオフで京都は予想外の大きな不運に見舞われた。まずはレギュラーシーズン終盤、インサイドの要であるジョシュア・スミスが犯したファウルが危険行為と見なされ5試合出場停止処分を受ける。この時点でスミスのクォーターファイナル不出場が決定。さらに第1戦で得点源の1人ジュリアン・マブンガがテクニカルファウルとアンスポーツマンライクファウルを連発してしまい次戦の出場権を失うことになった。つまり京都は2人の外国籍選手を欠いて第2戦を戦わざるを得ない状況に陥ったのだ。
「そんな中でも最後までよく食らいついていったんですけどね。さすがに2人を欠いた戦力には厳しいものがありました。2連敗してクォーターファイナル敗退が決まったとき、ああ、これで俺の代表復帰の目論見も実現せずに終わったなと感じました。1つの夢というか個人としての目標をあきらめた瞬間だったと思います。だけど、これからはチームをどう勝たせるかにシフトしていこうという(気持ちの)切り替えは早かったかな。そのときはまさか肩腱板断絶で手術することになるなんて思ってもいませんでしたから」
肩の不調は3年目のシーズンに入ってから感じ始めていた。病院で検査したのはシーズン終了後。プレーを続けるなら手術が必要だと告げられたとき「一瞬、引退が頭をよぎった」という。思いとどまったのは、その年に誕生した息子の存在だ。「やっぱりね、できるなら息子にバスケットをする父、試合で活躍する父を見てほしいなあと思って(笑)」
2020年、京都を退団した岡田はB2のアースフレンズ東京Zで1年プレーした後、B3から最速でB1昇格を目指すアルティーリ千葉に移籍した。
「創設間もないチームがB3から最速でB1を目指すというのを聞いて、おもしろそうだなと興味が湧きました。できるなら自分もその目標達成の力になりたいと思ったんですね。結果、まず1年でB2昇格を果たしたのは素晴らしかったし、自分もベテラン枠で少しは役に立てたんじゃないかと思っています、でも、2年目でB1昇格は叶わず、今シーズンこそと意気込んだ3年目には僕のプレータイムがほとんどなくなってしまった。あのとき自分の(プロ選手としての)キャリアは17年目でしたが、そのキャリアの中でプレータイムが無いというのは初めての経験でした。もちろん(どの選手を)使う、使わないを判断するのは指揮官だとわかっていますが、それでも自分には『まだまだできるのになあ』とモヤモヤした気持ちがあって、ここでキャリアを終えるのは何か違うと思っていました。あと1シーズンでいいから自分を必要としてくれるチームに行って、自分のシュートはまだ錆ついてないぞということを見せたかった。アルティーリを退団した僕がSNS(X)に投稿した『心残りが少しだけあります。求めてくれるクラブがあれば嬉しいです』というポストを見て驚いた人は多いと思いますが、あれはそのまま正直な僕の気持ちでした」
そして、自身が「バスケ選手のキャリアの延長戦」と名付けた昨シーズン、オファーを受けた香川ファイブアローズ(B3)のユニフォームを身に着けた岡田は記念すべき初戦をアウェー(対東京八王子ビートレインズ)で迎えた。第1戦で12得点、第2戦で16点を稼ぐ活躍で2連勝に大きく貢献。なかでも特筆すべきは2試合ともにフィールドゴール(内3ポイントシュートは6本)、フリースロー全てがノーミスだったことだろう。打てば入る!成功率100%のシュートは驚きの声とともに敵地のファンまでをも魅了した。
いつだってバスケに夢中だった(4)へ続く
文 松原貴実
写真 吉川哲彦、B.LEAGUE