内に秘めた “自分への期待”
だが、岡田の “主演ドラマ” はこれで終わらない。次に取り組んだのは日本バスケットボール選手会の設立という大仕事だった。2013年当時のバスケットボール界はまだNBLとbjという2つのリーグに分かれており、すべての選手たちが安心してプレーできる環境が整備されているとは言い難かった。そこで岡田が考えたのは選手相互の意見が交換できて、それをリーグに届けられる団体を創るということ。リーグと敵対するのではなく、密にコミュニケーションを取りながらより良い環境作りを目指したいと思った。
「この提案を多くの先輩たちが受け入れ、協力してくださったのは本当にありがたかった」と岡田は振り返るが、整備されていない土地に真新しい家を建てるのは生半可な覚悟ではできない。さまざまなリサーチ、各チームへの声掛け、立案に伴う煩雑な書類制作、長時間に及ぶ会議、さらには見直し、修正…想像しただけで気が遠くなるほどの業務が必要となるのだ。
岡田はなぜそんな大変な仕事に着手しようと思ったのだろう。見た目にも重い荷物をなぜ自分の肩に担ごうとしたのだろう。
その答えを教えてくれたのは、青山学院大で4年、トヨタ自動車アルバルクで7年同じユニフォームを着た盟友、正中岳城だった。
「ずっと岡田を見てきて感じるのは、あいつが自分自身に対する大きな期待を持っているということです。だから周りから困難だと思われることでも必ずできると自分に期待することができる。選手会に関して言えば、当時はスポーツ選手は黙ってスポーツに専念していればいいみたいな風潮もありました。スポーツ選手はそういうもんやろと枠にはめられてるみたいな。あいつはそれが嫌だった。選手を軽く見てもらっちゃ困るという反発心もあっただろうし、軽く見られないためには選手のプレゼンスをもっと高めていく必要があると感じていたんじゃないでしょうか。
NBLが発足してルールの変更やサラリーキャップの導入も始まろうとしていたあの年、選手不在のままいろんなことが決まっていくのを見て、たぶんあいつが1番伝えたかったのは、『自分たちのことを自分たちで判断する権利を放棄しちゃいけないよ』ということだったと思います。それは確実に周りに伝わっていった。選手会を立ち上げたことで私を含め多くの選手の意識が変わっていくのを感じました。あいつは私が知るかぎりバスケ界で一、二を争う負けず嫌い。また、それと同じぐらい好奇心が強い男です。だから他人から見たら困難なことでも尻込みしない。けど、もう1つあいつを見て感じるのは、自分に対する期待が高い分、すごく努力して何かを成し遂げても内にはまだ満たされないものがあったんじゃないかということです。それを満たすためにまた違う可能性を求めてチャレンジしていく。それを繰り返し、繰り返し、やり続けたのが岡田優介。誰にも真似できない、なんともすごい男だと思っています」
2007 トヨタ自動車アルバルク東京入団・ユニバーシアード大会日本代表選出
2009 日本A代表初選出
2010 公認会計士国家試験合格・アジア大会出場
2011-12 リーグと天皇杯2冠達成
2013 一般財団法人日本バスケットボール選手会設立 初代会長に就任
ざっと振り返ってみただけでもプロ選手になってから7年間の岡田の活躍はめざましい。先の正中のことばを借りるなら “胸の内に自分への期待を秘めて” 切り拓いて行った道なのだろう。しかし、2014-15シーズンを迎えようとする前、岡田のバスケット人生に突然暗雲が立ち込める。太陽の光が遮られ空の下で、岡田は初めて自分が窮地に立たされたことを知った。
いつだってバスケに夢中だった(3)へ続く
文 松原貴実
写真 吉川哲彦、B.LEAGUE