やらされているのではなく、やりたいからやる
中学に進み、晴れてバスケット部の一員となった岡田のバスケ熱はさらに燃え上がる。
「そのころの自分は早朝練習、放課後の部活、夜は区の体育館に通い、21時過ぎに帰宅すると寝る前に町内を10km走ってました。結構ハードな日課でしたけど(笑)」
いや、いや、いや、結構どころかハードもハード。 “鉄人中学生” 以外の呼び名が思いつかない。
「もっと上手くなるためには人の何倍も練習しようと決めてたんです。たとえば部活で往復フットワークをやるときは自分の番が終わってもすぐ次の列の後ろに並ぶみたいな」
なかでも “岡田伝説” と呼んでいいのが、校庭100周ランニングだろう。週に1度『校庭を30周してから練習に入る』という地獄メニューがあったのだが、その日、岡田はみんなが集まるかなり前から1人で走り始め、なんと校庭を100周していたのだという。
「練習がキツければキツいほど、それは先生に言われてやるんじゃなくて自分がやりたくてやっているんだって思うようにしてました。だからフットワークもランニングも言われたことより必ず多くやる。校庭30周走れと言われたら100周走る。これ、走らされているんじゃなくて自分が走りたくて走ってるんだからなって思うと、地獄の練習がなんか少しだけ地獄じゃなくなっていくような気がしました」
走り終わった校庭にはいつも自分の足跡がくっきり、まーるく刻まれていたそうだ。
進学する高校も自分自身で選んだ。180cmまで伸びた身長と高い得点力を持つ選手として東京都選抜メンバーにも選出され、ジュニアオールスター3位入賞の立役者となった岡田にはいくつもの高校から声がかかったが、その1つひとつを実際に自分の目で見て、かつ分析し、選択したのが茨城の土浦日大高校だった。
「高校で日本一になりたかったんですね。親からは東京にいるのだから東京の高校に行けばいいとか、まあ学業成績もよかったので進学校に進めばいいとか、いろいろ言われましたが、聞く耳を持ちませんでした(笑)。当時の土浦日大は関東大会で優勝した泥臭いバスケットを武器とするチーム。ここでなら日本一を狙えると思ったんです」
結果を先に言えば、残念ながら目指した日本一の夢は叶わなかった。最高成績は3年次の茨城インターハイ3位入賞。だが、この大会で3ポイント王と得点王に輝いた岡田はFIBAアジアジュニア選手権の代表メンバーにも選出され、日本バスケット界の次代を担うシューターとして注目を集めていく。