「2024-25シーズンをもって岡田優介選手が現役を引退することとなりました」── 所属する香川ファイブアローズからそう発表があったのは今年2月のことだ。
プロ選手となって18年。そのキャリアを振り返れば真っ先に『唯一無二』という言葉が浮かぶ。トップシューターとして全力でコートを走り続けながら、5年がかりで手にした公認会計士試験の合格、日本バスケットボール選手会の設立メンバーであり初代会長、バスケ仲間が集う飲食店の経営、3人制バスケットボールチームの選手兼オーナー。これらは軸足をコートの中に置いた岡田が、同時にコートの外で成し遂げたてきたことの数々だ。積み重ねた努力と費やしたエネルギーはいかほどのものだったか。傍からその重さを知るのは難しいが、彼のチャレンジが周囲に与えた影響の大きさはわかる。B.LEAGUE AWARD 2024-25で授与された『功労賞』は、自分の頭で考え、自分の足で動き、バスケット界の景色を変えていった岡田の『唯一無二』の功績を称えるものだった。
出会った日からのめり込んだバスケット
東京都新宿区出身。幼少期に両親が離婚し、母と兄、妹の4人で暮らす生活は決して裕福とは言えなかったが「その分ハングリー精神が旺盛で、独立心が強い子どもだったと思います。人にああしろ、こうしろと言われるのが嫌で、自分の力で何とかしなきゃってという思いが常にありました。自分がやると決めたらとことんやり抜くというか。そこはかなりの負けず嫌いでしたね」
10歳から始めたバスケットもその1つだろう。
「始めたといってもうちの地区にはミニバスのチームがなかったので、バスケ好きな友だちを集めて放課後に練習してたって感じです。練習場所は学校の体育館、体育館が使えない日は校庭、それも無理なときは近くの公園。コーチはいなかったけど、練習量だけはミニバスチームにも負けていなかったと思います(笑)」
だが、やればやるほど「もっと上手くなりたい」という気持ちが増してくる。区の体育館を借りて練習しているバスケクラブがあると知ると迷うことなく参加し、唯一の小学生として大人に混じってボールを追いかけた。
「あのころはとにかく教室にいる時間以外はすべてバスケットに充てたかったんですね。そのために宿題はいつも休み時間に片づけていました。最初は変なやつだと思われたかもしれないけど、すぐにそれが普通になるし、周りの目なんて全然気にしてなかったです。だいたい限られた休み時間に集中して宿題終わらせちゃう方がいろんな意味で効率的なんですよ。思えば自分は小学生のころから効率的な方法を考える子だったのかもしれませんね(笑)」