パイオニアの信念と矜持(前編)より続く
まだBBがついていなかった頃の新潟アルビレックスを「新潟のお客さんがついてきてくれて、ワッと盛り上がる日本で唯一のチームが出来上がった。本当に特殊なチームが1チームだけ活動してた」というレベルにまで引き上げたアリーナMC・関篤。強豪揃いのJBLスーパーリーグで「なんとかしてこの選手たちを勝たせてやりたいって、ファンの人たちと一緒に戦ってましたね」と言うように、手を尽くして異次元の熱狂空間を作り上げてみせた。
アリーナMCとして、日本におけるバスケットボール観戦文化のスタンダードを築いたように思えるのだが、当の関自身は「でもやっぱり違うんだよな」という想いも抱えていくようになる。
「若かったし、コンサートのコール&レスポンスみたいなことができて気持ちいいと感じる自分がいたのも事実です。でも、『俺、何を見せたいんだっけ』って思ったんですよ。みんなにバスケットを見てもらいたいんであって、お客さんは僕の喋りを楽しみに来てるわけじゃない。うち(株式会社パワーボイス)の社員にもよく言うのは、自分たちは刺身のツマでしかない、旨い刺身を届けることに集中してやってほしいということ。いくら自分が気持ち良くたって、それはバスケットボールにとって何のプラスにもならないんですよ」
それを強く感じたのは、bjリーグの誕生後。リーグ誕生にあたり、朱鷺メッセでのホームゲームにはリーグに参入するクラブの関係者がこぞって視察に訪れた。彼らは関の喋りで観衆が盛り上がる様子を目の当たりにし、それを参考にした。これは関にとっては本意ではなかった。喋るのは仕方なく始めたことだったからだ。
「『バスケットボールにおけるMCとはこういうものなんだ』と、関係者の皆さんが全国に持ち帰っちゃったわけです。それで、どこのMCも必要以上に喋るようになっちゃった。僕としては、盛り上がり方がわからない人に対してしかるべきタイミングでスイッチを押して、声を出してもらうようにして、慣れていったら引いたほうがいいというのが持論。その理屈まで聞かせるべきだったなという反省はあります」
その反省は今、生かされているところもある。新潟のMCを退任した後、リンク栃木(現・宇都宮)ブレックスのアリーナMCとなった関は、既に新潟での年数を超え、徐々にその喋りを減らしていっている。盛り上がるポイントやタイミングを、観客が理解してきているというのがその理由。思いがけず全国に広まってしまったスタイルを払拭し、本来の関の理想を具現化しつつあるのが今の宇都宮のホームゲームだ。
「最初は喋りましたよ。でも今は引き算の過程に入っていて、あれだけ喋らなくても同じギャラなんだって思われるくらい喋らない(笑)。MCは喋ってナンボっていうのが、ギャラを払う側にも貰う側にもあると思うんだけど、僕の考えをブレックスはわかってくれてるんだと思う。
これはお客さんにも言ったことがあるんです。試合が終わった後のアフターイベントで2000人くらいお客さんが残ってるところで一人喋りしたんですが、『俺、試合で喋らないでしょ? 他の会場に行くと、MCさんはもっと盛り上げてますよね。でもね、喋らない日はブレックスが強い日なんですよ。俺が喋らないときは喜んでください(笑)。関がやたら煽ってくるなと思ったら、『今日苦しいんだな、後押ししなきゃいけないんだな』と思ってくださいってね。今ではもう、試合の局面、局面でお客さんが勝手にボリュームを上げてくれる。だから、『そろそろ俺要らねぇな』って思ってきてますよ(笑)」