関にとっては運命的な出来事ではあったが、これも関自身のそれまでの行動の賜物。現在関は選手・コーチのマネージメント事業や全国各地でのアカデミー事業を展開する株式会社T2Cと、バスケットボールを中心に様々なスポーツイベントの演出に携わる株式会社パワーボイスという2つの会社の代表を務めているが、それもやはり人との縁など、過去の自分の全てが意味のあるものだった。
「自分でつかみにいってるというよりも、生まれから育ちから全部ここに集約されて、生かされてるんだなって思う。考えて動いてるわけじゃない。でも、感覚的に『これいいな』と思ったことは間違ってない。LAに行ってバスケを見たいって思ったことも間違ってないし、頼る人も間違ってなかった。全部1本の線でつながってるって、今は思ってますね。自分がバスケという軸をぶらさない限り、必ず何かが起こる。小宮邦夫(元日本代表選手、現T2Cスタッフ)なんかは特にそうだけど、今自分の会社にいる人間が集まってきてくれたのも、なるべくしてこうなったという実感があります」
NBA流のエンターテイメントを日本で、それも地元でできることに関は喜んだが、当時はバスケットを見る文化がまだ一つもなく、ホームゲームという概念すらない時代。「レイカーズと同じことをやればカッコいいだろ」というほど、簡単なものではなかった。
「レイカーズでやってる演出をオープニングから何からそのまま、楽曲もLAでCDを買い集めたものを日本に持ち帰って、同じ立て付けでやったんだけど、これがまぁ盛り上がらない(笑)。シーンとしちゃった。NBAなんてMCは喋らないし、盛り上がれなんて一言も言わなくても盛り上がるけど、日本のお客さんは実業団リーグの流れで見てるから、『ディーフェンス!』なんてやっても手も叩かない。それでしょうがなく喋り始めたんですよ。盛り上がらないからイベンターとしての血が騒いだだけ。黙ってても盛り上がるNBAの観客のレベルをここで根づかせなきゃ、見方を教えてやらなきゃと思ったんです。見方がわからないんだったらMCがリードして、レクチャーしていくしかない」
その結果、新潟がJBL日本リーグからスーパーリーグに昇格した頃には、試合会場がオレンジ色に染まる唯一無二の空間となった。2004年には日本代表とプレシーズンゲームを2試合戦い、第1戦は80-60で新潟が勝利。日本代表の面々は明らかに雰囲気にのまれていた。今ではあって当たり前のホームコートアドバンテージ、言い換えれば “アウェーの圧” を、日本で最初に体現したのが新潟だったのだ。
こうしてアリーナMCとしての成功を収めた関だが、その原点はやはり若かりし頃に見たNBA。本当のバスケットボールエンターテイメントとは何なのか、関はその後もバスケット観戦文化が成熟する流れの中で追求していくことになる。
文 吉川哲彦
写真提供 宇都宮ブレックス、B.LEAGUE