12月8日の試合中に脳震盪を発症した高橋は、約1カ月の間試合から離れていた。小林HCによれば「シューティングの部分がだいぶ良くなってきたところでコートを離れてしまって、今はバスケットの感覚的なところを少しずつ戻す途中」ということだが、新潟戦の前週に復帰し、GAME1で6アシスト、GAME2で6スティールという数字を残しているのは流石の一言。ただ、高橋は自身のプレーに満足していないようだが、その中で常にハッスルし続けることはより強く意識していた。だからこそ、一瞬で会場のムードを一変させたあのビッグプレーも生まれたのだ。
「正直、今は自分が納得いくようなパフォーマンスができてない中で、ああいったところで自分がやれることを徹底してやろうと決めてましたし、結果としてチームに勢いをもたらせて、会場も一体になってくれたので、自分がやってきたことは間違いじゃなかったなという感じですね」
高橋は、岐阜・富田高校がインターハイ・ウインターカップともに初出場を果たした際のエースガード。そのかたわら、2・3年時には特別指定選手としてスゥープスのユニフォームにも袖を通した。入団に際して高橋が携えていたのは、スキルに対する自信ではなく、高いレベルにも決して怯まないスピリットだった。
「もちろんプロで力を試したいというのもあったんですが、高校2年生の段階からプロの舞台でやれる人は、日本全国を見てもそういない。技術的にプロで通用するかどうかは別として、プロに挑戦できるだけのメンタルはあったので、せっかく僕にそういう機会を与えてくれたからには挑戦させてもらおうという感じでした」
高校卒業後は中京大学に進学したが、Bリーグの2022-23シーズンが開幕する前に三遠ネオフェニックスから特別指定選手のオファーが届き、B1でも実に47試合に出場。スターターを務めた試合も5試合あった。ここで思い出しておきたいのは、高橋の出身が神奈川県であるということだ。B1でそのポテンシャルを披露したにもかかわらず、生まれ故郷でもないB3のクラブに昨シーズン戻ってきたのは、岐阜という土地に対して「僕のパワースポットみたいな感覚」を抱いているからだ。
「正直、三遠では苦しいこともいろいろありました。もう一回初心に返って、岐阜で今までお世話になった方々にプレーを見てもらって、恩返しができたらなと思ってここに戻ってきました」
B3参入以降、岐阜は突出した実力を持つ選手を抱えることがほとんどない。外国籍選手に関しても、抜きん出た得点力の持ち主は少なく、組織的なチームバスケットで生きるタイプの選手を好んで獲得してきた印象が強い。それゆえ、チームバスケットが機能した試合は、絶妙な得点バランスで多くの選手が活躍している。特定の選手を軸にした戦い方をしないという特徴を、岐阜は貫いている。