「悪い言い方ですが近年はボトムにいたチームで、そこから大野さんをはじめコーチ陣が入って、ケガ人が多かったにせよ最初のインパクトは大きかったので、楽しみなチーム、面白いチームだなとは思ってました。開幕の川崎戦からそれまでにない戦いぶりだったので、本当にケガ人さえいなければもうちょっと上に行けたというか、1人でも多くプレーできていれば結果も変わったシーズンだったと思ってます」
これは、2022-23シーズンの三遠ネオフェニックスについて大浦颯太が振り返ったものだ。多くのBリーグファン・ブースターには言うまでもないことだが、このシーズンの時点では大浦は秋田ノーザンハピネッツの一員。結果的には連敗だったとはいえ2点差、4点差と接戦を演じた開幕節の川崎ブレイブサンダース戦を具体的に挙げるあたり、三遠の躍進にそれほどのインパクトがあったことを示すと同時に、大浦がその動向にも注視していたことがよくわかる。
三遠はbjリーグ時代に3度のリーグ制覇を誇り、Bリーグとなってからも初年度の2016-17シーズンにチャンピオンシップに進出したクラブだが、コロナ禍でシーズン打ち切りとなった2019-20シーズンは5勝36敗と急降下し、その後の2シーズンもリーグ下位に沈む低迷期。誤解を恐れずに言えば、コロナ禍による特例のレギュレーションに助けられてB2降格を免れてきたところもあった。
その状況が急激に好転したのが2022-23シーズンだった。大野篤史ヘッドコーチを筆頭にコーチングスタッフが一新され、選手も10人が新加入と大がかりなテコ入れを敢行した結果、序盤は中地区首位を走った。ヤンテ・メイテンの戦線離脱を皮切りに故障者が続出してしまったことなどで失速し、最終的には23勝37敗という結果に終わったが、前シーズンまでに比べればファン・ブースターが希望を感じるシーズンだったに違いない。
そして、秋田入団当初はスターターに定着しながら、その後出場機会を減らしつつあった大浦は、その三遠からオファーを受けて移籍することとなる。
「大野さんやクラブからの熱意も感じましたし、新しい所で挑戦してみたい気持ちがありました。交渉を進めていく中で、大野さんのトランジションバスケットを学んでみたいと思ったし、自分もトランジションバスケットは得意にしているので、スタイル的にも合うと思って移籍を決断しました。Bリーグで長く続けていくにあたってディフェンスは大切になってくるので、それで最初に秋田を選んだ部分もあって、秋田が求めていたディフェンスを完璧にできていたかというと疑問符がつくんですが、学べたことが多かった。それを違うチームで生かしてみたいという気持ちが大きかったです」
「楽しみなチーム、面白いチーム」とは思っていても、それはあくまで外から見た話。当事者にならなければわからないことも当然あるが、三遠のバスケットスタイルは細部でも大浦に合致するものだった。
「ディフェンスファーストというのは秋田と同じですが、チームのスタイルはガラッと変わりました。秋田よりもセットオフェンスをするチームではあるんですが、アーリーオフェンスでいろんなオプションがある中で、自分たち主体で判断するところがあって、そこは自分としてはやりやすいなという感じがありました。例えばドラッグスクリーンをかけるのも大野さんは自分と同じ考えを持ってましたし、システムの他の部分でもやりやすさはありました」