今季のコートでもう一度自分の力を証明したい(中編) より続く
自分自身を含め全員が成長していけるシーズンを目指す
田中大貴は長崎県雲仙市出身。小学2年生からバスケットを始め、特別推薦で進んだ長崎西高校で全国大会出場を目指した。九州には福岡第一、福岡大附属大濠、延岡学園などバスケの強豪高校が少なくないが、当時の田中は「自分の実力では無理だろう」と思っていたそうだ。県下の進学校として知られる長崎西の部活時間は1時間半と定められていたが、効率の良い練習メニューと集中力でスキルを磨き、3年連続ウインターカップ出場を果たした。それを機に優れた身体能力と高いバスケIQを併せ持つ田中の名前は全国区となり、いくつもの大学からオファーを受けることになる。田中によると進学先として最後まで迷ったのは大学界のトップ選手として注目を集めていた比江島慎が在籍する青山学院大とその好敵手であった東海大だったという。
青学大の長谷川健志監督(当時)が「うちで比江島とともに日本一を目指そう」と声をかけたのに対し、「うちで比江島くんがいる青学を一緒に倒そう」と誘った東海大の陸川章監督。結果、田中は東海大を選んだわけだが、両監督の誘い文句に登場した比江島とは大学のみならず、NBL、Bリーグでもライバルとして競い合い、日本代表ではそろって初選出された2012年以来、次代を担う2人のエースとしてチームを牽引していくことになる。
高校の恩師から「おまえは日の丸を付けて戦う選手になれる」と言われた日から、迷うことなく目標に向かって努力を重ねてきた田中はついに東京2020オリンピックの舞台に立った。が、それを最後に代表活動からの卒業を発表。常に高みを目指し、ストイックにバスケットに取り組んできた田中を見てきただけに、彼にそう決断させたもの、その理由を知りたいと思った。
「代表活動を引退したことについてはいろいろな理由があるんですが、急に思い立ったわけではなく東京オリンピックが終わったら一区切りしたいというのは前から自分の中にありました。それくらいオリンピックは自分がずっと追い求めていたものであり、夢でもあったんですね。それが終わったことでモチベーションが落ちたのは確か、また腰の状態があまり良くなかったのも事実です。今年のパリオリンピックはもちろん見ていましたし、比江島選手も応援していました(笑)。ワールドカップのときもそうですが、正直、もし自分がこの舞台に立っていたらどうなっていたんだろうなとちょっと考えたりもしましたね。大学4年のときに代表入りしてから、ずっとリーグと代表活動を併行してやってきましたから、選手たちの大変さはよくわかります。強化合宿、海外遠征、強化試合と休む暇もない中で体調管理にも気をつけなければならない。心身ともに疲れることはたくさんあります。そんな中でみんな頑張ってたなあと思いますね。それだけにあのフランス戦は勝たせたかったなあと今でも思います」
そこで1つ意地悪な質問。盟友の比江島選手が今も代表メンバーとして活躍しています。もし仮に日本代表から声がかかったら、もう一度日の丸を付けてもいいと思いますか?