2022-23シーズン、天皇杯とリーグの両方でベスト4に躍進した横浜ビー・コルセアーズは、大いに注目を浴びた。もちろん、レギュラーシーズンMVPに輝いた河村勇輝を抜きに語ることはできないのだが、チームとしての総合力がなければ上位に進出することはできない。2023-24シーズンのメンバーでいえば森井健太やデビン・オリバー、須藤昂矢といった面々の貢献度も非常に高かったということは断言できる。
そして、チームを率いる指揮官の力もチームの行方を左右することは言うまでもない。チームマネージメントを任されるヘッドコーチには様々な資質が必要となるという点で、青木勇人HCの存在も横浜BCの躍進には不可欠なものだった。その青木HCは、一体どのようなバックボーンを持っているのか。
神奈川県藤沢市に生まれた青木HCは小学校3年生のときにサッカーを始めたものの、4年生になると野球とバスケットボールに転向。5年生までは野球も続けたが、青木少年にとって一番面白かったのはバスケットだった。なお、本人の記憶では、中学校に進学した時点の身長が約160センチと、飛び抜けて背が高いわけではなかった。
進学した中学校は湘南地区1位で県大会に出ることはできたが、それ以上には行けず、しかも青木少年はシックスマンだった。その後進んだ鎌倉学園高も全国レベルの学校ではなく、過酷な練習を重ねるというよりは楽しくバスケットと向き合う日々。しかし、厳しく指導される強豪校でなかったことが、かえってその後のバスケット人生を切り拓いたというのが本人の実感だ。
「中学は練習はキツかったけど楽しかったし、高校のときは自分たちでいろいろ考えながらバスケして、チームとして戦うのが楽しかったから続けられた。大学も、身長が伸びたからもうちょっとやりたいなと思って、自らいろいろ当たって専修大に決まったんですが、中学・高校で強い学校に行ってたら、たぶん今の状況はなかったと思います。“やらされた” と思ったことがないから。大学は周りのレベルが凄すぎて挫折しかけましたけどね(笑)」
高校時代に全国制覇も経験しているような選手が集まる専修大では、出場機会も決して多いとは言えなかったが、卒業後は当時のトップリーグ・JBLに所属する大和證券に進む。これは、社員としての採用だった。JBLはプロリーグどころか、プロクラブすらまだ1つもなく、企業チームだけで構成された実業団リーグ。選手単位では、バスケットを専門に従事する契約選手が少しずつ出てきていたものの、大半が一般の会社員だった時代。だからこそ、目立った実績がなくても滑り込むことができたという側面もあるが、いずれにせよ、国内で最もレベルの高い環境に身を投じることはできた。
「4年間全然試合にも出てないのに、『自分はできる』っていう全く根拠のない自信はあって、『上でやってみたい』と監督に言ったんです。そのスタートが他の選手よりも遅かった分、『やるんだったらできるだけ上で』と無理を言ったら、奇跡的に無理が通って(笑)、大和證券が獲ってくれることになりました。もともと専修大と大和とのルートはあって、ちょうど自分の代は大和が他の選手を獲れなくて枠が空いたみたいです。もちろん試合には出られなかった(笑)」