1月1日に発生した大地震により、金沢武士団はその月に予定されていたリーグ戦8試合が全て中止になってしまった。2月に入ってリーグ戦に戻ることはできたものの、従来の拠点であった石川県七尾市から離れることを余儀なくされ、安心してバスケットに打ち込める状況でないことは明らか。ただでさえ厳しい戦いに、何かしらの不安を抱えながら臨まなければならなかった。
加えて、ヘッドコーチ不在という異例の状況でシーズンに突入していた金沢は、年明けに三木力雄新HCを迎えることが決まっていたが、三木HCが石川県に入る前日に震災が発生したとあって、そのスケジュールも3週間近く先送りされ、急ピッチでのチーム作りを迫られた。詳細は三木HCに関する記事に詳しいが、三木HCの意向により、これまでの練習メニューや戦術はほぼ全てリセット。限られた時間で新しいバスケットスタイルを構築することになったのである。
そんな中、第25節のしながわシティバスケットボールクラブ戦をチャリティーマッチとして開催することになった。第24節までの成績は6勝34敗、三木HC就任後に限っても2勝14敗で、既にリーグ最下位は決まっている。しかし、本来は七尾市で予定されていた2試合を、BリーグとB3リーグのバックアップもあって東京・代々木第二体育館で開催することとなった以上、金沢は全身全霊で戦う必要があった。
その第1戦は、最終的には10点差がついてしまったとはいえ、オーバータイムに及ぶ激闘を披露。ドゥドゥ・ゲイを欠いたにもかかわらず、リードを奪った時間帯も長く、今シーズン急成長しているしながわシティと対等に渡り合った。第2クォーターに一時14点リードを奪ったことを考えると、勝てる試合を落としてしまったという印象もあるものの、競り合いの展開になっても我慢強く戦ったことは事実だ。
三木HCのゲームプランが奏功したことも大きかった。相手のエースガード・伊藤良太に対しては、フェイスガードでボールを持たせない策を敢行。特に田中翔大はその任務を徹底的に遂行し、伊藤を孤立させることに成功した。三木HCは、この日の田中の働きに最大限の称賛を与える。
「ポストのダブルチームと伊藤良太のフェイスガードは練習でだいぶやりました。翔大はここ数試合はプレータイムゼロの試合もあったんですが、この2試合に関しては『良太を潰しにいくから頼むぞ』という話をしてましたし、今日はシュートまで入って(3ポイント2本を含む8得点)、むちゃくちゃ良い仕事をしましたね」
伊藤は最終的にしながわシティの勝利を決定づける速攻レイアップを決めるなど9得点6アシストという数字を残しているが、本人としては、クラブチームのRBC東京で薫陶を受けたことのある三木HCにしてやられたという印象が残ったようで、「明日終わったら殴りたいです(笑)」と冗談交じりに振り返った。
「今日ここに来る途中で、三木さんならやりかねないなと思ったんです。そこに負けないようにとは思ったんですが、あそこまでやってくるとは思ってなくて、今日は受け身になってしまって難しかったですね。金沢は全員がハッスルしてきますし、特に三木さんが行ってからはチーム一丸となって気持ちを切らさずにやり続ける。本当にリスペクトを持てるチームです」