2026年のBリーグ刷新に向け、各所で新アリーナの建設が進んでいることは、裏を返せばホームアリーナとしての役目を終えるアリーナも多いということになる。2011年のbjリーグ参入当初からホームゲーム会場として使われ、Bリーグではホームアリーナとして熱狂を生み出してきた船橋アリーナも、その主である千葉ジェッツが来シーズンから新しいホームアリーナに移るため、4月13日・14日がレギュラーシーズン最後の試合。千葉Jは既に地区2位以内に入らないことが確定しており、チャンピオンシップに出場できてもホーム開催の可能性はない。
立ち上がりから群馬クレインサンダーズを圧倒し、地力の差を見せつけた第1戦、試合後の会見でジョン・パトリックヘッドコーチは「今週末の目的は、船橋アリーナの最後の2試合を勝つこと」と明言。試合後のヒーローインタビューに登場したゼイビア・クックスとジョン・ムーニーも、この節が最後の船橋アリーナ開催であることに触れた。今シーズン途中加入のクックスでさえも触れたということは、チーム全体にその意識が共有されていたということだろう。
チーム在籍歴が最も長いのは2014-15シーズンから在籍している西村文男だが、船橋アリーナに対して最も思い入れがある選手となると、それはおそらく原修太だ。国士館大4年時にいわゆるアーリーエントリーで千葉Jに入団した生え抜きの原は、千葉県船橋市の出身。本人曰く「両親がここでバスケットをしてましたし、僕も小・中・高と何かの大会でここを使ってました」とのことで、調べてみると本人の出身中学は船橋アリーナから直線距離で1キロも離れていない。まさに地元が生んだスターというわけだ。
とはいっても、原がその頃からプロで活躍する姿を思い描いていたわけではない。千葉Jが誕生した2011年当時、原はまだ高校生だった。今でこそどの試合もブースターが客席を埋め尽くすが、当初は入場者数が1000人を下回る試合も多く、今ほど地域に根づいているとは言えなかった。
「この船橋アリーナでプロが試合をやり始めたのは、たぶん僕が高校を卒業する前くらい。たまにJOMO(現・ENEOS)がやってましたが、ここをホームにしてるチームはなくて、身近ではなかったので、ここでプロとしてプレーしたいというのも別になかったです。みんな忘れてると思うんですが、大学2年生のときにジェッツの前座で試合をしたことがあって、そのときもジェッツの試合を見ずに帰ったくらいなので(笑)、まさかここで仕事としてバスケットをやれるとは思い描いてなくて、不思議な気持ちです」
ちなみに、その前座試合で同じ千葉県出身の田代直希(琉球ゴールデンキングス)がチームメートだったことは覚えているそうだが、「大学選抜対市船(市立船橋高校)とか……だった気がします」と原自身の記憶も曖昧である。20歳の原にとってはプロとしてプレーすること、それも千葉Jの一員として船橋アリーナのコートに立つ未来を想像できなかったのは致し方ないことであり、千葉Jに対する認識自体もあまり強くなかったことを考えれば、はっきりと記憶していないのもうなずける。