前編「高校も大学も『出番なし』からのスタート」より続く
『ポジティブな性格』、『プラス思考の人』などという言葉をよく耳にするが、寺園脩斗はまさしくその代表格だろう。学生時代、実業団で過ごした1年間、三遠での3シーズン、そして、キャプテンを担う北海道での今シーズン、これまでの時間の中で出会った人たち、体験した出来事は「すべて自分のプラスになっています」と笑顔で言い切った。
結果が出ないときも絶対に下を向かない
── プロとしてのデビューが三遠ネオフェニックスに決まった経緯を教えてください。
寺園 僕が九州電力でプレーしていたとき、今、滋賀レイクスのデベロップメントコーチをされているマーク貝島さんにマンツーマンでバスケを見てもらっていた時期があったんです。そのマークさんのツテで当時三遠のヘッドコーチだった藤田弘輝さん(現・仙台89ERSヘッドコーチ)にプレーを見てもらう機会があって、興味をもっていただけたことが三遠に行くきっかけになりました。
── プロ入りが決まったとき、「不安より喜びの方が大きかった」と言われましたね。
寺園 はい、不安はほとんどなかったです。バスケが仕事になって、毎日存分にバスケができることがうれしくて、うれしくて、本当にうれしくて、もうめちゃくちゃ幸せでした。
── 三遠では3シーズンプレーしたわけですが、そこで得られたものは?
寺園 まず、自分を迎え入れてくれた先輩方がみんないい人で、チームワークもよくて、毎日が楽しくて、プロのスタートを切るには最高のチームだったと思います。ただ、苦しかったのはなかなか結果が出せなかったこと。自分は3年目にキャプテンをやらせてもらったんですが、そのときもどうやったら勝てるのか、何が足りないのかってずっと考えていました。僕は結構ポジティブな方なんですが、そういった意味ではあのころが一番苦しかったかもしれません。でも、それを含め、プロとして通用するもの、欠けているものを知ることができた貴重な3年間だったと思っています。
── その三遠を離れて、レバンガ北海道に移籍した経緯は?
寺園 環境を変えることが自分のプラスになるんじゃないかと考え始めたころ、北海道から声をかけてもらったのがきっかけです。当時のヘッドコーチは佐古賢一さんで、キャプテンが橋本竜馬さん(現・アルバルク東京)というのも大きかったですね。2人ともPGとして知らない人がいないぐらいの存在じゃないですか。必ずたくさんのことを学べるはずだと思ったんです。
── 実際に学ぶことは多かったですか。
寺園 学ぶことだらけでした。たとえばPGとしてどうチームを引っぱるのか、流れを見ながらどこで攻めて、どこでコントロールするのか、ゲームを進めながら今日は誰が好調なのかを見極め、劣勢のときにいかにチームを立て直すのか。本当に勉強になることばかりでした。僕は北海道に来たとき、調子が悪いとプレーが消極的になってしまうところがあったんですね。でも、竜馬さんを見ていると、たとえ自分の調子が悪くてもチームとしてやらなければならないこと、そのために自分はこういうところで貢献しようという姿勢が全くブレないんですね。どんな状況でもやるべきことをやる。そういう選手を間近で見られたことは間違いなく自分のプラスになったと思っています。
── 学びを活かせるようになった手ごたえはありますか。
寺園 毎年、毎年課題としてきたことが少しずつ実になってきたのは感じています。自分の強みは縦に割っていくアタックだと思っているんですが、今シーズンはそれを活かした得点力で貢献できている手ごたえはあります。あと、メンタルの部分でも少しは成長できたかなと。もちろん、課題はまだまだたくさんありますが。