クラブから三木HCの就任が発表されたのが12月15日。年が明けた1月2日にチームの拠点がある石川県七尾市に入り、その2日後にはチームに合流する予定だった。その直前になって、二つ目の「まさか」が起こる。プロチームを率いることに比べると、これは本当に想像を超える出来事だ。
「京都も結構揺れたんですが、すぐに中野さんから『三木さん、悪いけどしばらく来れない』と連絡があって、僕が入る予定だったアパートが地割れでぐちゃぐちゃになってる写真も来ました。結局石川県に入れたのが20日で、練習開始が22日でした」
それでも三木HCは、チームを引っ張り上げることに集中しようとした。新しい拠点に移るにあたり、物件の選択肢が少ない上に内覧もできない、いざ入居してみるとライフラインが不十分といった困難がつきまとった中、三木HCはフロントに「2週間くれ」と告げてチーム作りに臨み、選手が考えていた戦略・戦術も「中途半端になるのは嫌だったので、全部払拭させました」とリセット。「それが2週間前ですから大変だったと思います」と選手を慮るが、第23節の湘南ユナイテッドBC戦を終えた段階で2勝12敗。1点差の黒星が2試合あり、結果には満足せず、選手にも成長を求める。
「自分が思っていたよりは成績が良くないです。もうちょっといけるかなと思ってたんですが、なかなか厳しいです。接戦になるところまでは頑張ってくれるんですが、勝ちに入るためのメンタリティーはまだまだこれからですね」
ただ、選手たちにとっては、リーグ戦に戻れたことが何よりもポジティブなこと。三木HCは「被災しても、逆にそれをエネルギーにしようとしてますし、変な言い方ですが、良いモチベーションにもなってるんじゃないかと思います」と、厳しい状況から逃げようとしない選手たちの姿勢を評価する。
既にリーグ最下位は確定し、第24節も連敗を喫した金沢だが、4月1・2日の第25節にはB3リーグのみならずBリーグもバックアップし、国立代々木競技場第二体育館でチャリティーマッチが開催されることとなった。三木HCは「リーグのバックアップに恥じないようなゲームをしたい。もちろん勝ちたいです、めちゃくちゃ勝ちたいですが、最後まで諦めない、40分間戦い抜く、そこを徹底して、たとえ負けたとしても来ていただいた方、被災された方に何かを感じてもらえるゲームをしたいです」と、この2試合へのモチベーションは高い。
コーチとして豊富な経歴の持ち主である三木HCも、トップチームでのHC業はJBL2部・日本リーグ時代のさいたまブロンコス以来、実に19シーズンぶりとなる。「この年齢になってもこうやってお話をいただいただけでありがたい。この年齢でBリーグでコーチをしてるのは僕と、同い年の小野秀二(バンビシャス奈良)だけ。現場を張らせていただけて本当に感謝ですし、このままの人生でいって、コート上で死んだら本望ですよ」と笑ってみせる三木HCは、自身も選手として度々コートに立ってきた代々木で、逆境の金沢をどう導くのだろうか。
文・写真 吉川哲彦