大学卒業後、東京海上日動で社員選手としてプレーしていた伊藤は、岐阜への転勤で1シーズンバスケットから離れたが、B3に新規参入を果たした岐阜スゥープスにトライアウトを経て加入し、その翌シーズンには岩手に移籍してプロ選手となった。東京海上日動と岐阜に関してはアマチュア選手主体のメンバー構成だったということもあり、望むような結果はなかなか得られないチームだったが、その経験も今に生かされている。
「勝てない時期にそれぞれ違う方向を向いたり、誰かのせいにしたり、環境のせいにしたりというのは簡単なことで、そこで自分にベクトルを向けられるかどうかというのが一人ひとりの人間性に関わる部分で、一番成長できるポイント。こういう状況だからこそ全員で頑張ろう、ということは意識してますね」
伊藤がそのキャリアを一旦終えたのは、福祉の世界との出会いがきっかけだった。今回はその世界に身を置いたまま、プロバスケットボールの舞台に帰ってくることとなったのだが、伊藤を突き動かしたものはいったい何だったのだろうか。
「一番は僕自身がバスケットボールが大好きだというのがあるんですが、佐野さんと東京海上日動のときにつながってて、クラブとして地域の方や障害のある方にバスケットボール、スポーツをする機会を提供していきたいという想いを聞いて、そこに共感するところがありました。僕も、アスリートだからこそ発信できることがあると思っていますし、いろんな人たちを勇気づけられるようなところに挑戦したいと思うので、チームの目標と自分の目標がつながったというのが、復帰した要因としては大きいと思います」
引退が早かっただけに、復帰した今もまだ31歳と若く、アスリートとしては体力と経験のバランスが取れる年齢だ。ただ、強い想いを持って復帰した分、かつてないほどに高いモチベーションでバスケットと向き合うことができているということが、今の伊藤にとっては年齢以上に重要な要素であり、プレーの源泉となっている。そして、このクラブを引っ張り上げたい、社会に貢献したいと思う一方で、クラブをはじめとして多くの人の理解やサポートがあることへの感謝の気持ちも強い。
「モチベーションだけでエネルギーMAXの状態ですね。シュートタッチの部分は僕の中ではまだ少しブランクを感じてもいるんですが、このクラブを発展させたいとか、バスケットを通じて新たなチャレンジに背中を押してあげたいとか、本当にその気持ちの部分です。ちょっと異質なキャリアかもしれないですが、自分だからこそ背中を押せる人たちがいると思ってます。
年齢的にも脂が乗ってくる時期なのかもしれないですけども、気持ちを込めてプレーできてるというところが自分の中では一番です。それは、しながわシティが一つひとつ積み上げていく中でのフロントスタッフの想い、佐野さんの想いと同じ熱量で、そこが自分のパフォーマンスにもつながってるんだと思います。自分がこんなチャレンジをできてるのもいろんな人の支えがあってのことなので、やっぱり恩返ししたいですね」