長崎ヴェルカを作った男の終わりなきチャレンジ(前編)より続く
長崎ヴェルカは、1人の男の存在ありきで誕生したクラブだ。ジャパネットホールディングスが長崎スタジアムシティプロジェクトを進めるにあたり、サッカー場に加えてアリーナの建設予定もあったことからプロバスケットボールクラブの創設が検討された。そこで関係者がコンタクトを取ったのが、当時アメリカにいた伊藤拓摩。「引き受けてくれたらクラブを作る」という話を聞いた伊藤は、日本に戻ることを決意する。
正式にクラブ創設が発表されたとき、バスケット業界出身者は他に1人もいなかった。クラブ名が長崎ヴェルカと決まり、B3参入前に作られたファンクラブの会員特典であるリアルタイム動画サービス「ヴェルつく」が始まると、伊藤はまだGMの肩書しか持っていなかったにもかかわらず、事業面の話題を積極的に展開。クラブの中心的存在として、あらゆる面で前のめりだった。
「私は幸運で、本当であればGMというのは事業側に意見を言うのは仕事ではないんですが、ゼロからの仕事ということと、当時はメンバーも少なかったということもあって、事業の部分にも関わらせていただき、いろんな興味が湧いたというのはありますね」
B3参入が決定してからはGM兼ヘッドコーチとして強化に力を注いできたが、運営会社の代表取締役社長となった今は再び事業面にも深く携わり、クラブにまつわる全てを注視しなければならない立場だ。
「今は責任の範囲が広がったというのが一番の違いです。GM兼HCをやって、その後取締役にもなりましたが、自分のフォーカスは強化部のほうで、B2に昇格すること、良いチームを作ることに90%の時間を費やしました。今はどちらかというと事業のほうが多いです。5月や6月はGMとしての仕事が一番多い時期ですが、シーズンに入れば8割が事業の仕事。視野も、責任の範囲も広がりましたね」
事業と強化の両面を一手に背負うことは相当難しいはずなのだが、事業面にも責任を持つ立場となったことで視点が増え、「クラブ全体を見て選手に話ができるというのは大きいかなと思います」と、GM業に生かされている面もあるという。何より、ただチームがB1に昇格しただけではなく、クラブ全体が成長しているということを伊藤代表兼GMは強く感じているところだ。
「B2からB1に昇格する段階で、達成できたのはもちろん選手の頑張りやコーチングの力もすごくありますが、一番の強みは総合力だと思いました。ヴェルカに携わる人たち、選手やスタッフだけでなく、事業部のみんなが長崎の盛り上がりを作ってくれた。プレーオフの1回戦からそこをしっかりデザインして、熱を作って選手のモチベーションにしてくれたのは、事業部の強さだと思います。ファンの方々をどう盛り上げるか、スポンサー・パートナーの皆さんにどうやってチームを後押ししてもらうか、メディアの皆さんをどう巻き込むか、それを作れたからアウェーの厳しい戦いを勝つことができた。私はそこに関わって、どちらの強みも知っていて、より多くの人を巻き込めたというところは、社長業とGM業の両方をやったからこそだったかなと思いますね。ヴェルカがあることで人生が豊かになったと言ってもらわないと、どのクラブも続かない。そこはすごく意識してます」