── なるほど。
伊藤 だけど、レバンガに行ったことでちょっと意識が変わったんですよ。レバンガが優勝を狙えるチームか?と言えば、正直、当時はそこまでの力はなかったですし、その分お客さんに喜んでもらうにはどうしたらいいのか、スポンサーさんに満足してもらうにはどうしたらいいのかみたいなことを考えるようになりました。ファン向けのイベントもたくさん経験して、ああ選手は試合に出るだけじゃなくてこういうメンタリティも必要なんだなと気づいたというか。誤解がないように言っておきますが、アルバルクもファンをとても大事にするチームですし、そういったことはしっかりやっているチームです。でも、さっきも言ったように勝つか負けるだけを考えてやっていた僕は、ある意味視野が狭かったのかもしれません。レバンガでは若い選手にアドバイスをすることも増えましたし、自分ならこうするなとか、ああしたいなとかコーチ目線でチームを見ることもあって、引退したらコーチの道に進むのもいいなと考えるようになりました。ほんとにまだ漠然としたものでしたが。
── でも、コーチの道は選ばなかった。
伊藤 ハハハハハ、そうですね。GMの仕事を考えるようになったのは滋賀に行ってからだと思います。当時、滋賀のヘッドコーチはショーン・デニスさん(現名古屋ダイヤモンドドルフィンズHC)だったんですが、ショーンさんとは「フロントのマネージメントとしてこうことをしてもらえればありがたいですね」とか「こういうチーム編成にしたらおもしろいですよね」といった話をよくしていたんです。いろいろ話しているうちにGMの仕事に興味が出てきました。NBDLのテキサス・レジェンズでそういう仕事をしていた兄(伊藤拓摩・株式会社長崎ヴェルカ代表取締役/GM)の経験談を聞くことができたのもきっかけになったかもしれません。
── アルバルクからはそのタイミングでオファーがあったのですか。
伊藤 アシスタントGMのオファーをいただいたのは滋賀で3年目のシーズンを迎える前のオフです。でも、そのときはまだ決心がつかなくて、このシーズンを過ごしながら考えたいとお伝えしたんです。返事は1年待ってくださいと。当初、(オファーを受ける)自分の気持ちの割合は8:2くらいで低かったんですが、それが7:3になり、6:4になりと、徐々に傾いて行った感じですね。シーズンが終わるころにははっきり引退を決意してオファーを受けさせてもらいました。
── 伊藤さんのことですから、GMという仕事の大変さは十分理解したうえで、1年かけてじっくり考えて選択した道だと思いますが、それでもいざ新しい世界に飛び込むと戸惑ったり、悩んだりすることもあったのではないですか。
伊藤 はっきり言ってその連続でした(笑)。というか、今も大変さは続いています。だけど、同時にやりがいも感じています。すごく疲れていても、さあまた頑張ろうと思えます。
── 一度はバスケットとは無縁の道も考えたとおっしゃっていましたが、疲れていても、また頑張ろうと思えるのは、やっぱりバスケットが好きなんでしょうね。
伊藤 そう思います。っていうか、それしかないですね。そうじゃなかったらとっくに行き詰っていたかもしれない。僕はやっぱりバスケットが大好きなんですよ(笑)
中編『頭の中には四六時中バスケットがある』へ続く
文 松原貴実
写真提供 アルバルク東京、B.LEAGUE