この夏沖縄で開催されたFIBAバスケットボールワールドカップ2023においてアジア1位となった日本は来年のパリ五輪のチケットを獲得した。実に48年ぶりの自力出場という快挙に日本中が沸き立つ中、橋本竜馬もまた胸が躍るのを感じていたという。
「日本の試合は全部見ましたけど、ほっんとうに素晴らしかったですよね。選手はもちろん、コーチ陣、スタッフ、協会の方たち、そして、なによりアリーナを埋め尽くしたファンの皆さん、そういう力が1つになって勝ち取ったパリ行きだと思います。感動しました」
中でも17位-32位決定ラウンドの初戦(対ベネズエラ)で見せた比江島慎(宇都宮ブレックス)の躍動する姿には興奮が抑えられなかったらしい。「声が出ましたね。マコーーー!って(笑)」
2歳違いの橋本と比江島は青山学院大でインカレを制し、アイシンシーホース(現シーホース三河)で頂上を目指した仲間だ。
「あいつの実力からしたら今回の活躍は全然不思議じゃないですけど、それより僕がすごいと思ったのはワールドカップに臨んだあいつの姿勢です。多分、最終メンバーに残れるかどうかわからないという不安もあったと思うんですよ。あれぐらいの選手になればプライドもあるし『今回は自分から降りる』という選択肢もなかったわけじゃない。でも、あいつはそれを全部受け入れたんですね。受け入れて(ワールドカップへ)向かっていった。僕はその姿勢を心からリスペクトします。ものすごく大きな刺激をもらいました」
今シーズン、アルバルク東京という新天地でスタートを切る橋本にとって、その刺激は『自分の背中を強く押す力』になったかもしれない。
自分を成長させてくれたレバンガでの4年間
2011年、アイシンシーホースでプロ選手としてのスタートを切った橋本は琉球ゴールデンキングス(2018-19)、レバンガ北海道(2019-23)を経て、A東京への移籍を決断した。驚いたのはA東京からのオファーは今回が3度目だったということ。1度目は数年前、2度目は昨シーズンが始まる前。その都度「自分はまだこのチームでやりたいことがあるので、申し訳ありません」と頭を下げて断ってきた。なぜ断るのか?と不思議がる声も聞こえてきたが、自分が決めた選択に今も後悔はないという。
「正直、レバンガは優勝を狙えるチームとは言えなかったかもしれませんが、それでもいろんな面で僕を成長させてくれたチームでした。3年契約が終わったタイミングで、アルバルクさんが声をかけてくれたんですけど、まだ自分にはやり残したことがある気がして、家族にもその気持ちを伝えて、1年の更新を決めたんです」
遡ること4年、琉球から北海道に移籍した動機について「なぜ勝てないのか、その理由を知りたいと思った。そのうえでチームを変えていきたいと思った」と、語っていた橋本が、そこで「自分自身が成長できた」と言えるのはどんなところなのだろう。
「レバンガに入ってまず最初に感じたのは、チームを支えてくださっている方たちの力です。スポンサーさんからフロント、現場のスタッフ、細かく言えば体育館を設営してくださる方までいろんな方に支えられて自分たちはバスケットができているんだということを改めて実感しました。考えればあたりまえのことなんですけど、ビッグクラブじゃないからこそ身に染みたというか、ありがたさを痛感したんですね。次に思ったのは、選手にはいろんな考え方があって、いろんな生き方があるということです。それまで自分は勝つことだけを考えてやってきたけど、そのすべてが正解だったわけではなく、選手はそれぞれ自分の中に “自分の正解” を持ってバスケに取り組んでいるんだなあと気づきました。大事なのはお互いの “正解” を許容しながら、同じ方向に向かっていくこと。仮に優勝できなかったとしても1つになって求める方向に進んでいくにはどうしたらいいのかと常に考えていたような気がします」