「トムさんとも合宿の度に何度も何度も話して。どうしたら良くなるかっていうのをいろいろ話していたんですけど、彼としても僕をどう使ったらいいのかわからないと言っていたときもありました。今の代表のスタイルだと外でプレーしなければいけないんですが、僕があまり器用ではなかったのでどちらかにしかフォーカスができなかった。外でプレーすることを意識し始めてから、中で身体を張ったりリバウンドを取りにいったりする部分がちょっと弱くなってしまって、アジャストしようとしたんですけどそこで崩れてしまったので、なんというか…ちょっとなかなか難しかったんですよね。」
驚異的な成長スピードをもたらした原動力である、合理的な思考と盤石な運動能力の基盤が災いしたと言ってもいいかもしれない。
シェーファーには「正解」がわかる。正解に適応していく身体的知能がある。
長い期間に渡ってインサイドのみを生業としてきた選手の場合、すでに固定されてしまっていることが多いので、いきなり外でプレーしろと言われてもまずできない。
できないことをやってもしょうがないので、あっさりと諦めて気持ちを切り替えられる。
だがシェーファーにはできてしまう。
1月に水戸で行われたオールスターにおいて、まるでシューターのような動きで3ポイントを次々と沈めたMVP級の活躍は記憶に新しいところだろう。
長期間に渡ってインサイドに専念し続けてきたビッグマンがあれだけの動きを身につけるには、気の遠くなる時間が必要になる。
高い身体的知能を持ち、ポジション固有の反復が短かったからこそ、専門外のプレー習得が早い。
しかし、それを日本代表のレベル、世界を舞台に通用するレベルに引き上げる期間として与えられたのが一年やそこらというのは、あまりに酷な話だ。
悩んで考えて、試行錯誤した末にシェーファーは、「とりあえずちょっと考えすぎないようにしたい」という結論を導き出した。
「まずは自分のやるべきこと、自分の仕事を遂行したいです。リバウンドと、ディフェンスと、ピックアンドロールとダイブすることと。今はそこにフォーカスして、意識して。それができてきてから、外で打つことに慣れていければなと思っています。多分トムさんも、僕に外でプレーすることを求めているとは思うんですけど、一番最初に求めているのはリバウンドとディフェンスと、インサイドの仕事だと思うので、原点に戻る意識で今はいます。」
3ポイントが打てる選手であることは証明できた。
自信もある。
だからこそ今一度スタートラインに立ち返り、改めて日本代表の大きな力となるため、迷いを逃がすようにして自分の戦場へと再び挑む。
「前回のワールドカップと前回のオリンピックに出させてもらって、一回も勝ててないんですね。一勝もできていない。なので本当にそこが目標だと思います。ワールドカップに出て、必ず勝って、アジアで一番いい成績を残して次のオリンピックの枠を勝ち取る。前回は自国開催だったのでオリンピックに出場できましたが、自分たちで勝ち取るっていうことはまだできていません。そういう意味で、今は東京オリンピックのときとは違う目標でいますね。」
竹内兄弟が日本代表に初めて選出されたのは大学一年生、18歳だった。
彼らがバスケットを始めたのは中学生のころ。
中学校三年生で卓球部からバスケ部に転部した竹内公輔(宇都宮ブレックス)はシェーファーと同じく、4年で日本代表選手となった。
時は流れ、竹内兄弟が役目を全うした日本代表で、新たな「日本のビッグマン」としてペイントエリアを守り抜くこと。
パリ、ロサンゼルス、そしてその先へと移ろいゆく大舞台で、変わらずその役割を担い続けることを、シェーファーは目指す。
『アインシュタインはマジックジョンソンのパスを見破るか』(後編)へ続く
文 石崎巧
写真 B.LEAGUE