どの分野でも、トップレベルに至るまでには2万時間の訓練が必要だとする法則がある。
いったい2万時間とはどれほどの年月なのか。
例えばバスケット少年が1日4時間練習して、週に2日の休みを入れたとしたら、ざっくり20年くらいでトッププレーヤーになれる計算だ。
小学校一年生からバスケットを始めたら26歳で日本代表に入れる。
中学校から始めたらどうだろう。
32歳の頃にトップレベルの領域に辿り着いたとして、身体は衰え始めていないだろうか。そもそもそこに至るまでの競争を生き残れているだろうか。
高校から始めたら?
あらゆる場合において熟練に一定の期間を要するならば、早く始めたもののみが優位性を得られることになる。
だとしたら、2万時間の法則は別競技からの転向を考える人や、思春期のまん中で『THE FIRST SLUM DUNK』を観て変なスイッチが入っちゃった若者などが二の足を踏む要因となりかねない。
でも大丈夫、安心していい。
僕らには、シェーファーアヴィ幸樹がいる。
シェーファーがバスケットを始めたのは高校2年生。
そのわずか4年後には日本代表入りを果たした。
なんということでしょう。
たったの4年間で2万時間の訓練を?
そのためには毎日休みなく、1日13時間以上の練習をしなければならない。
そんなことはもちろん不可能だ。
骨が折れるか心が折れるかのどちらかを理由に、早い段階で続けられなくなるだろう。
ではそのテスラみたいな加速度はどこから生み出されたのだろうか。
「本当に正直言って、すごく恵まれてた感が強くて」
成長速度の理由について問われたシェーファーは、そう答えた。
高校一年生の夏、シェーファーは兵庫から東京に家族で引っ越してきた。
それまで続けてきたサッカーに東京でも打ち込むつもりでいたが、インターナショナルスクールに通っていたためトライアウトのタイミングなどが上手く合わなかった。
そんなときに熱烈な誘いを受けて始めたバスケットは、シェーファーの世界を大きく変えた。
「高校二年生でバスケを始めてめちゃくちゃ下手くそだった僕に、当時(アンダーカテゴリー)代表のコーチをやっていたトーステン・ロイブルさんが期待をしてくれたんです。トップエンデバーに呼んでもらって、U18の最後のアジア大会まで呼んでもらって、その次のU19世界選手権までしっかり僕を使い続けてくれて。本当にそれこそ1対1で教えてもらったりとかもして、すごく基礎知識がつきました。」
一気に世代トップの仲間入りを果たしたシェーファーは高校卒業後の進路をアメリカに求めるが、それを後押ししてくれたのは他ならぬ家族だった。
「直接アメリカの大学に行くのではなくプレップスクールへ入る選択をしましたが、両親も本当にそれを応援してくれて、いろんなところに片っ端から電話をかけてくれました。」