前編「アメリカで模索した自分のあらたな武器」より続く
島根で芽生えた新しい感情
よく見れば、谷口大智の右肘は今でも少し曲がっている。
「手術は上手くいったんですけど、やっぱり後遺症っていうか、前みたいにまっすぐには伸びません。だけど、自分はアメリカで3ポイントシュートを身につけてきたんだという自負はあって、リハビリ中もシュートのことは頭から離れませんでした。ようやく打てるようになってからはシュートフォームを修正しながら、少しずつ、少しずつ感覚を取り戻していった感じです」
地道なリハビリから始まった日本のバスケット生活。6年ぶりのコートの上でアメリカとの違いを感じることはあったのだろうか。
「それはありましたね。当時、日本にはまだ “ビッグマンはインサイドでプレーする” っていうイメージが少なからずありましたから。けど、自分は3ポイントが打てるビッグマンになると決めて日本に帰ってきたので(リハビリ中も)シュートを打ち込まなくちゃという意識があるわけです。さっきも言いましたが、そのためにシュートフォームを修正しながら打ち込んでいたので、周りの人は『なんでそんなに3ポイントシュートの練習してるんや』という目で見ていたかもしれません。でも、気にしなかったです(笑)。だってみんなはそのとき僕がアメリカで何をしてきたかなんて知らなかったわけだし、認めてもらうためにはもっと3ポイントの精度を上げられるよう頑張るしかないと思っていました。5月に手術してなんとか10月のプレシーズンマッチに間に合ったんですが、その間は自分ならできる、また前みたいにシュートを打てるようになると言い聞かせながらゴールに向かっていたような気がします」
翌年(2016-17シーズン)にはBリーグが開幕。B1でスタートした秋田ノーザンハピネッツはB2降格の憂き目にあうが、翌2017-18シーズンのプレーオフを勝ち抜いて再びB1昇格を決めた。熊本ヴォルターズと対戦したこの大一番で谷口は6本の3ポイントシュートを沈めて勝利に大きく貢献。自分の行く道に手応えを感じられたのではないか。だが、一方で『有力な外国籍選手が揃う舞台で日本人ビッグマンがプレータイムを得るのは容易ではない』という現実は変わらず目の前あった。4年間在籍した秋田のあとに広島ドラゴンフライズ、茨城ロボッツ、島根スサノオマジックと移籍が続いた理由の1つは『より多くのプレータイム求める気持ち』だったのかもしれない。
「そうですね。それは正直ありました。まあ選手ならみんなそうなのかもしれませんが、プレータイムを欲する気持ちは常にあったと思います。けど、島根に移籍した今シーズンからその気持ちがちょっと変わってきたんですね。気持ちが変わったというより、別の新しい感情が芽生えてきたと言う方が正しいかなあ」
うん? 新しい感情?