「間違いないです。というのも、1年生のときはまだ英語で苦戦していたから生活そのものがいっぱいいっぱいだったんですね。少し余裕が出てきたのは2年生になってからで、その分バスケに向き合えるようになりました。どうすれば自分のプレースタイルを築けるのかを模索して、身長だけじゃだめだ、ポジションのコンバートも視野に入れて自分の武器になるものを手に入れるにはどうしたらいいか…それを毎日考えていたのを覚えています」
3ポイントシュートの練習に積極的に取り組むようになったのもそのころだ。
「もともとシュートを打つことは好きだったんですが、自分のポジションでは打つ機会がなかった。3ポイントの練習を始めた最初のころはほぼほぼリングに届かなかったですね(笑)。だから、焦らず長い目で見ようと決めました。いきなり3ポイントを打つのではなく、ミドルレンジ、台形のあたり、ちょっと離れたロングツー…という感じで1年単位のスパンを念頭に置いて取り組んでいました」
オフシーズンは朝7時に起きて、7時30分から自主練。そのあと朝食をとり、9時から12時まで授業に出る。13時になるとチームメイトとワークアウト、ウエイトリフティング。16時から22時までは大学のカフェテリアでアルバイトをして終了後はすぐにジムに向かう。月曜から木曜までこのサイクルで過ごし、土曜は丸1日アルバイト。アルバイトが休みの金曜と日曜は自主練のほかに溜まった課題をやる勉強時間に充てた。9年前に聞いたアメリカの生活はなかなかハードなものに思えたが、忘れられないのは「1日で1番の楽しみにしてるのは朝と夜の自主練の時間です!」と言った谷口の笑顔だ。自主練にはいつもスピーカーを持参して、「大音量で音楽を流しながら黙々と身体を動かす」と言っていた。自分の武器とすると決めた3ポイントを打ち続けた体育館にはどんな曲が流れていたのだろう。
「毎日の自主練もそうですが、アメリカに行って良かったのは日本とは違うバスケットのカルチャーを知れたことだと思います。たとえばコーチから言われたことに疑問を感じたら、みんな迷わず『Why?』と口にします。注意を受けて、『はい、わかりました』じゃないんですね。理由を聞いて説明を受けることで納得したら次に進む。そういう環境の中で僕は自分が目指すプレースタイルを伝えることができたし、おかげで2番、3番のポジションもやらせてもらえました」
2013-14シーズンには16試合の先発を含む27試合に出場し、チーム2番目となる39本の3ポイントを成功させた。結果は手応えになり、自信へとつながる。しかし、順調に見えたアメリカ生活の先には思いがけない落とし穴があった。
「ラストシーズンを迎えて間もない時期に右肘に大ケガをしてコートから遠ざかることになってしまったんです」
卒業後は帰国して秋田ノーザンハピネッツ(当時bjリーグ)でプレーすることは決まっていた。が、その前にやるべきことは肘の手術。「利き腕の肘がこのまま伸びなくなってしまったらどうしよう。シュートを打てなくなってしまったらどうしよう」考えると不安ばかりが膨らんだ。
2015年、日本に居を移した谷口のバスケット人生は、肘の手術と長いリハビリ生活から始まることになる。
中編「島根で芽生えた新しい感情」へ続く
文 松原貴実
写真 B.LEAGUE