「厳しかったね。5対5をやるにしてもファーストチームがあったりするじゃん。そっちに入ったり外されたりすると超不安になったりする。日ごとに変わってたりとかさ。あー、やっと上がったー!とか思ってたら次の日は普通にセカンドチームとか。それよりもさらに後ろの、セカンドチームの控えとかも全然あったし。けっこうしんどかったね。で、マッチアップするのファジーカスでしょ。」
丈夫な体を武器とする太田は、Bリーグで外国籍選手にも当たり負けしないディフェンスが持ち味。
だが日本代表に来る帰化選手のレベルは、いまやリーグでもトップクラスの選手なのだ。
「(ファジーカスは)フィジカルは弱いんだけど、なんなんあの右手。コンタクトで負けるのありきで決めてくるやん。ルイが『右手だけアスリート』って呼んでた。」
高度に発達した技術は魔法と区別がつかない。
偉大なる魔法使いたちを相手にした苦しい選考の毎日は、さぞ身も心も削り取られる思いのしたことだろう。
東京オリンピックに出場する12名のリストに、太田の名前はなかった。
落選した当時の心持ちについて思い返してもらうのは気が引ける行いではあった。
誰にとっても思い出したくもない過去だ。
でも聞いてみた。
仕事なので。
「まあでも、オリンピックに行ったのは若いメンバーだったから、仕方ないかなとは思ったけどね。あのメンバーを見たときには。なんだかんだでおじさんが全員いなくなってたから。インサイドもだし、だって辻(直人、広島ドラゴンフライズ)も入ってなかったもんね。だから仕方ないかなとは思うけどね。悔しかったけど…まあ…入らなかったか、しょうがねえなって感じ。」
全然しょうがなくなさそうだった。
さっきまでにこやかに話していたのに、急に神妙な面持ちになった。
自分を諭すような語り口。
しかし無理もないことだと思う。
加齢による衰えから逃れることはできないし、周囲の急激な変化に干渉することも不可能だ。
だが、だからといって、潔く受け入れられるはずもない。
思いもよらず飛び出した太田少年の言葉は日を追うごとに大きく育まれ、支えとなり、願いになった。
祈り通じず、打ちひしがれた心を簡単に飲み込めるような、その程度の思いではすでになくなっていた。
「マジで出たかった」と熱を込める太田にとっては、状況的に最後のチャンスだった可能性は高い。
次のオリンピックは2024年、太田は40歳。
まだまだ選ばれなかった悔しい気持ちは消化しきれないかもしれないが、さすがにこれはきついよね?
「まあ…身体は動きますよ?」
まだワンチャン狙ってた。
文 石崎巧
写真 B.LEAGUE