「日本代表になりたいです!」
太田少年(206cm)は淀みなく言い放った。
高校のスポーツ系部活ではよくある風景。
先輩のよくわからない説教に後輩のよくわからない応答。売り言葉に買い言葉。
「まさか自分でもそんなこと言うとは思ってなかった。(日本代表になりたいとか)別に意識したことなかったんだけど、言った手前、みたいな。」
蹴り返したボールは反骨心からか枠に収まりきらなかったが、その瞬間から太田敦也の中でなにかが始まった。
大学を終えてトップリーグへ進むと、竹内兄弟以外にも日本代表としてプレーする同年代が現れ始めた。
努力が認められ、順調に所属チームでのプレータイムを増やしていた太田だったが、高校時代の宣言を実現するまでには至っていなかった。
そのころの心境を太田は語る。
「なんだろう…悔しいっていうより羨ましいって言ったほうがいいのかな。ポジションが違うから、あーいいな、って。高校のときは代表で(一緒に)やってたからまた同じようにやれたらなー、みたいなのは思ったことある。」
そして2011年。
ついに太田少年の叫びは現実のものとなり、日本代表としてアジア選手権への出場を果たした。
それ以降は代表選手としての実績を着実に積み重ねていく太田だったが、2013年に新たな目標が生まれる。
東京オリンピックの開催が決定したのだ。
「ワンチャンあるかな、って思った。年齢的にも。」
それからというもの、バスケットボールにまつわる、ありとあらゆるものが動きだした。一気に時代が変わった。
開催国枠で東京オリンピックに出場するためには実績が不十分とされた男子日本代表は、大急ぎで強化を図った。
その一つが、強力な帰化選手の獲得だった。
「(ファジーカスが帰化したとき)とりあえず、枠が狭まったな、ってのは最初に思った。いやもう気が気じゃないよ。勝つ確率は上がったな、とは思ったけど、確実に一個潰れたよね。で、枠いくつかなって数えるんよ。ルイ(八村塁、ワシントン・ウィザーズ)いるだろ、ナベちゃん(渡邊雄太、ブルックリン・ネッツ)いるだろって考えてた。それにファジーカス(ニック・ファジーカス、川崎ブレイブサンダース)がいたらあと一個くらいしかなくね、みたいな。」
オリンピックの直前、2021年の日本代表候補として選出された太田は、合宿での激しい競争に挑んだ。
表面的で耳障りのいい言葉を並べるならば、候補選手は誰もが同じスタートラインに立ち、皆に平等なチャンスが与えられているはずだ。
だが現実は綺麗ごとばかりではない。
NBA選手や帰化選手になるにはそれだけの『理由』があるし、それらの人材を差し置いて枠に収まるためには相応の『根拠』が必要になる。
すでにいくつかの席は決まっている。
残りは一つ、あるいは二つ目の椅子が用意されるかもしれない。
それを竹内兄弟と、そして成長著しい若手勢とを相手に争った。