むかし、むかし、バスケットボール選手となった太田は思い悩んでいた。
「フィニッシュが上手くない」
「下手くそ」
自身のプレーをそのように評する太田は、身長以外の武器を求めていた。
「高校、大学だと、譲次・公輔はいたにしろ、デカイだけでなんとかなることが多かった。でもプロに入って同じような背丈の選手、外国籍選手とかもいて、なにもできなくて。プレータイムがすごく短かった。」
同い年でありながらすでに日本代表としての活躍を見せつける双子。
所属するチームで思うようにプレーができないもどかしさ。
消化不良のあれこれを抱え込みながら、中村和雄氏の練習に励んだ。それはそれは厳しかった。
私欲を表に出さず、身を捧げるようにコートを走り回る太田が形作られたのは、このころだった。
「和雄さんのときに、もうとにかくハンドオフ、スクリーン。で、戻ってディフェンスっていうのは一番最初に叩き込まれてるから。それが土台っちゃあ土台かなとは思うけど。(チームの)日本人ビッグマンが全部そういう役割をやってた。なんなら自主練のときにミドルシュートの練習してたら『お前、打たないんだからやめろ』って怒られたことあるし。」
バスケットボール選手にとって「シュートを打つな」という言葉は呪いに近い。
身体の自由を奪い、魂を縛る呪い。
しかし太田はそれに打ち勝った。
「若干イラッとしたけど、入らなかったのは事実だし」と受け止め、呪いを自分の力とした。
圧倒的な外国籍選手の勢力下にある日本のペイントエリアにおいて、『日本人ビッグマン』として安定したプレータイムを獲得し続けている太田は、どんな能力でチームからの信頼を勝ち取ったのか。
それは今さら話すまでもないことかもしれない。
「やっぱり当たり負けしないとか。どれだけ当たってきても耐えられるとか。必ず守れるわけじゃないけど、少しでも味方のビッグマン、外国籍選手を休ませたりできるのが強み。オフェンスでなにかすごいことができるわけじゃないけど、シューター陣に気持ちよくシュートを打たせてやれるだとか。そういうことをできるのが強み。
ほぼ周りを活かすことしか考えてない。フィニッシュが上手いとか、自分でも思ってないし。
変わったスパイスじゃないけど、みんなが点を取りにいくと単調になるし。俺が出たときにちょっと変わった流れを、チームで流れを作れたらなっていうのは思ったりする。」
座右の銘を『自己犠牲』とする太田は、周囲を活かすことで自分の生きる道を切り拓いた。
今シーズンのスタッツを比べてみれば、竹内兄弟と太田の間に大きな差を認めることは難しい。
それどころか数字で表すことのできない影響力、『影の貢献』を加味すれば、どちらがより優れた選手かの判断は分かれるところになりそうだ。
いずれにせよ、以前のように太田を『竹内家の日陰』などと揶揄することはもうできないだろう。
まあそもそも、そんなことを口走る輩は後にも先にも一人しかいなかったのだが。
文 石崎巧
写真 B.LEAGUE