藤田は絶望した。
NCAAディビジョン1のバスケットボールプレーヤーになると決意したが、叶わなかった。
藤田弘輝は中学と高校をハワイで過ごした。バスケットボールを始めたのは小学生のころ、当時生活をしていた日本でだった。高校は州でも強豪と目されていたが、大きな志を抱いてニューヨークの学校へと転校した。情熱は、人一倍に持ち合わせていた。誰よりもシュートを練習し、ボールハンドリングにも磨きをかけた。高校卒業後は短大へと進み、ディビジョン1への扉を叩き続けた。
短大では大きな壁を感じた。明らかな身体能力の違い。プレータイムは得られず、卒業後に声がかかった4年制の大学はディビジョン2に属する地元、ハワイの学校だった。
環境は人間を変える。人間は常に外部の影響を受ける。より質の高い環境に身を置くことができれば、自身のさらなる飛躍も期待できる。しかし、狭き門へのアクセスは非常に限定的であることがほとんどだ。
「島で育ったこと、そして当時はインターネットが今ほど普及していなかったこともあって、なかなかリクルートの目に留まる機会がありませんでした。それは自分の中でコンプレックスでしたね。」
現在、ヘッドコーチとして仙台89ERSを率いる藤田だが、その傍らである取り組みを続けている。
インターネット上で高校生プレーヤーと大学チームをつなぐ媒体だ。高校生が自身のプロフィールやプレー映像などをアップロードし、大学側はそれらの中から興味を持った選手に声をかける。自分の実力を多くの人に知ってほしい選手と、隠れた逸材を発掘したいチーム。両方にとっての魅力的な機会となる。
「日本でバスケットに長く携わって、そしてコーチをしていて感じたことがあります。それは学生の進路がなかなか本人の思う通りにならないケースが多いということです。高校と大学の先生同士の関係性で決まってしまうこともあるし、そもそも県大会や全国大会に出られなかったら見られる機会すらほとんどない。もっと多くの子供たちが自分の選択肢を増やせるようなものがあったらいいなと思いました。特にここ数年は公式戦が行われずに、アピールする機会を失ってしまった若い選手も多くいます。そういった状況を見ていて、余計に自分がなにか力になりたいという気持ちが強まったことも始めたきっかけです。
ビジネスというよりは、自分の時間が許す限りで少しでもバスケットボール界に還元できるプロジェクトになればと思っています。」
藤田は自身の経験、挫折からこの意義あるアイデアを生み出した。手を差し伸べる彼には、目の前の選手がかつての自分と重なることもあるのだろうか。アメリカに行きたい。NCAAのディビジョン1に行きたい。そんな情熱へのサポートも視野に入れているのだろうか。
「海外の大学も登録できればいいなと思っています。ただなかなか難しいところで、いろいろと悩んでいます。現段階では、将来プロになりたいとか、バスケットの強い大学で続けていきたいけど、チームは県大会の2回戦で負けてしまった。そういう子供たちに少しでもチャンスを提供したいという思いです。なので、全国大会に出場して活躍するような選手には必要がないと思うんですよね。ただ、けっこう見切り発車で始めた部分もあるので、色々と探りながらやっていきたいとは思っています。」