ドイツへの挑戦が視野に入ったときからアイシンを退団することは決めていた。「ビビりまくっていた」というわりには相当肝が据わった決断に思える。そして、同時に感じるのは古川の中に生じた選手としての “変化” だ。仮にそれまでの古川が本人が言うところの「周囲の人に恵まれてここまできた自分」だったにせよ、ドイツ挑戦に向けて起こしたアクションには『これからの道を自分で切り拓いこう』という強い意志があったことに間違いはない。その後に移籍した栃木ブレックス(宇都宮ブレックス)でチームに不可欠なワンピースとして存在感を増していったのも「ここで自分をどう生かしていくのか」に注力した結果ではないだろうか。Bリーグが開幕した2016-17シーズン、栄えある初代王者の称号を手にした宇都宮の中で堂々チャンピオンシップMVPに選出されたことも古川の着実な成長を表している。翌年にはさらにパワーアップして宇都宮を牽引していく姿が見えるような気がした。
にも関わらず…だ。古川は自分が進む次なる道として翌2017-18シーズン、琉球ゴールデンキングスへの移籍を選択する。
「あのときはなんで移籍するの?どうして?みたいな質問をたくさん受けました。東海大の先輩であり、ブレックスのアシスタントコーチとしてもお世話になった佐々さん(宜央、現・宇都宮ブレックスヘッドコーチ)が琉球のヘッドコーチに就任するというのは確かに(移籍の)決め手の1つだったと思います。でも、もう一つ大きかったのは自分がちょうど30歳になる年だったということ。今までよりもっと周りにアプローチしなければならないと感じ始めた時期だったんですね。それを沖縄という土地、琉球というチームで試してみたいと思いました」
『新生琉球ゴールデンキングス』の呼び名で話題を呼んだこの年には古川と同じく宇都宮から須田侑太郎(現・名古屋ダイヤモンドドルフィンズ)、名古屋Dから石崎巧、サンロッカーズ渋谷からアイラ・ブラウン(現・大阪エヴェッサ)など数多くの有力選手が移籍加入したが、今も強く記憶に残るのはその翌年のこと。取材で琉球を訪ねた際に石崎が口にした “古川評” だ。Basketballspiritsがまだ紙媒体であった2018年3月号の『MY BEST5+1』という企画で石崎に自分の『BEST5+1』を選んでもらったのだが、その中の1人に挙がったのが古川の名前だった。石崎はその理由をこんなふうに述べている。
「3番ポジションでフィジカルなディフェンスができる選手というのは実はあまりいないんですよね。(中略)その点古川はまじめに身体をぶつけ、泥臭いディフェンスも厭わない。(中略)シューターとしてはまだ若干波がありますが、これから十分期待できる能力を持つ選手だと思っています」
石崎は東海大時代、古川の頭をポンポン叩いていた先輩の1人。いわば古川の “末っ子時代” を知る選手だ。その石崎があまたの有力選手の中から古川を選んだことに感じ入るものがあった。古川はこのとき31歳。ただただガムシャラにプレーしていた19歳から日本のトップ選手へと地道に努力を重ねた12年間が思い浮かんだせいかもしれない。
後編「CSでの完敗の悔しさを忘れず、昨季の自分たちを超えていく」へ続く
文 松原貴実
写真 B.LEAGUE