前編「始まりは “ダメ元” で送った1本のテープ」より続く
古川は自分のプレーの持ち味は「アグレッシブさ」だと言う。それは昔も今も変わらない。高確率で沈める3ポイントシュートも、泥臭く相手に張り付くディフェンスも、苦境のときほど声を出して仲間を鼓舞する熱量も、全て古川の『向かっていく姿勢』から生まれるものだ。だが、コートの中の “エネルギッシュな男” のイメージと実際の性格にはどうやらかなりの落差があるらしい。本人曰く「実はメンタルが弱くて繊細っていうか、気が小さい男なんです」。なんと、気が小さい!?トレードマークの口髭を撫でながらそう言われてもすぐには信じられないが。
『支えられていた自分』から『切り拓く自分』へ
「東海大に入ったとき何も考えずにただがむしゃらにやっていたと言いましたが、試合でもミスしてもいいから思い切ってやってこいと言われてて、実際ミスしてもカバーしてくれる先輩はいっぱいいたので、そういう意味ではすごく自由にプレーさせてもらっていました。アイシンに入ったときもそう。当時のアイシンには柏木さん(真介、現・シーホース三河)、ジェイアール(桜木、現・越谷アルファーズスーパーバイジングコーチ)、網野さん(友雄、現・白鷗大バスケット部監督)、公輔さん(竹内、現・宇都宮ブレックス)なんかがいて、もう出来上がってるチームだったんですね。チームとしての勝ち方を知っているメンバーの中にポンと自分が入ったという感覚でした。だから最初のうちはみんなの邪魔をしちゃいけないみたいな遠慮がありましたが、ここでも貴美一さん(鈴木ヘッドコーチ)が思いっきりやってこいとコートに送り出してくれたんです。周りに支えてくれる先輩がいたのも東海大の1年目と同じです。おかげでメンタルが弱い自分でも恐れずプレーすることができました(笑)。いろんな経験を積んで成長できたのは周りに恵まれていたからです」
いや、ちょっと待て。本当にそうなのか。活躍の場を広げていくその後の古川を見れば、ただ単に『周りに恵まれただけ』の選手だとは到底思えない。大学1年生のときは “候補選手” に終わったユニバーシアード大会には2009年と2011年に出場。アイシンの天皇杯4連覇に貢献すると、初のA代表メンバーとして東アジア選手権大会の舞台も踏んだ。いずれも「もっとうまくなりたい」という本人の強い気持ちとそれに伴う努力がなければ成し得なかったことだろう。周囲を驚かせた2013年の『ドイツリーグ挑戦』もその延長線上にあったと言えるのではないか。
「ドイツリーグへの挑戦と言っても具体的な話はなかなか進まず、ドイツに行く前に頓挫してしまったので何も挑戦していないのと同じなんですけどね。ただ当時の自分を振り返ると、バスケット選手としてもっと成長したいという強い気持ちがあったのは事実です。ドイツに渡るのはそのための1つの手段だと考えていました。けど、正直不安だらけだったんですよ。ドイツ語はおろか英語もしゃべれない自分がまったく違う環境でやっていけるのかを考えると内心ビビりまくっていました(笑)。今でももしあのときドイツに行けていたら自分はどうなっていたかなあと考えることはあります」